・・・前の屋上の天井はその頃何年か硝子がこわれたまんまで鉄骨が黒く月の明るみに出ていた。モスクワ市街が急激に様子を変えはじめて今はもうそこが立派に修理され、新聞社と出版労働者の倶楽部になって、夜は音楽が私の窓へもつたわって来るのである。 ひと・・・ 宮本百合子 「坂」
・・・太陽の明るみが何時か消えて、西岸に聳えるプロスペクト山の頂に見馴れた一つ星が青白く輝き出すと、東の山の端はそろそろと卵色に溶け始めます。けれども、支えて放たれない光りを背に据えた一連の山々は、背後の光輝が愈々増すにつれて、刻一刻とその陰影を・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・そして、夏の夜がそうである通りに、闇とはいっても、微かにおぼろに、物の形、姿だけは浮んで見えるほの明りに足元をさぐりさぐり、彼女はより明るみへ、より輝きへと、歩を向けて行っていたのである。 そして、彼女の心附かないうちに、生活の律動は、・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ 夜が明けて各々のかおがはっきり見えるようになると又かなしみも明るみにハッキリかおをだしてきのうの今頃と云う感じがたれの頭にでもあった。化粧もうっすり黒い衣をきなくちゃならないのがまだこの部屋に来てまもない女等は辛いように思われた。早い・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ ト思うと、日光の明るみに戸惑いした梟を捕まえて、倒さまに羽根でぶらさげながら、陽気な若者がどこへか馳けて行く。 今まで、森はあんなに静かな穏やかなところと、誰の頭にもしみ込んでいるので、これ等の騒ぎは、この上なくいやな、粗雑な感じ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ けれども、十一月に入り、新年が近づくにつれ、自分のその冷静な頭脳の明るみは、次第に他の感情で包まれるようになって来た。 仕方がない。彼女の解って呉れる迄、自分は自分の生活を、すっかり独りで営もう、と云う自足の感情は、やがて、此、淋・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・ 尾世川と藍子とは、最後の鼠色の船が、先ず船首の端から明るみ、帆の裾、中頃ぐらい、段々遂に張った帆の端が真白になってしまう迄、瞳を凝し見守った。「……変だなあ……」 藍子が、眼をしぼしぼさせながら、若々しい驚きを面に現して云った・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ところが違う。明るみに出るにはなかなかだと解った。原因は、良人である彼に、左様な異常な死を死なれたからではない。彼を生かし、きっと幸福にしてやれる確信も自分にもたないのに、死ななかったら仕合にしてあげたのという出鱈目な気休めは云えない。ああ・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
・・・日本の宵には空にうすら明るみがただよっていても、樹かげや大地から濃い闇が這いのぼって来て浴衣の白さを目立たせるのだけれど、北の夏の白夜の明るさにはまるでこの闇のかげというものがなくて、底まですきとおった、反射する光のない薄明で、並木の若葉も・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
・・・窓から射す明るみの中でパッと赤い布をかけたテーブルが浮立っている。「ああ、これがここに働くもののクラブです」 本棚がある。小説類、レーニン論文集、生理医学等の本がギッシリつまっている。「すべての勤労者に知識と健康とを!」 絵・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫