・・・嬢やはと聞くと、さっきから昼寝と答えたきり、元の無言に帰る。火鉢の鉄瓶の単調なかすかな音を立てているのだけが、何だか心強いような感じを起させる。眼瞼に蔽いかかって来る氷袋を直しながら、障子のガラス越しに小春の空を見る。透明な光は天地に充ちて・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・と駄目をおし、「むかし嵯峨のさくげん和尚の入唐あそばして後、信長公の御前にての物語に、りやうじゆせんの御池の蓮葉は、およそ一枚が二間四方ほどひらきて、此かほる風心よく、此葉の上に昼寝して涼む人あると語りたまへば、信長笑わせ給へば、云々」とあ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・昔は五月蠅と書いてうるさいと読み昼寝の顔をせせるいたずらものないしは臭いものへの道しるべと考えられていた。張ったばかりの天井に糞の砂子を散らしたり、馬の眼瞼を舐めただらして盲目にするやっかいものとも見られていた。近代になってこれが各種の伝染・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・がそれは問題ではない、私の妙に感じたのはその細い往来がヒッソリして非常に静かに昼寝でもしているように見えた事であります。もっとも夏の真午だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過であり・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・――私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想で・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 兎と亀のかけくらで、兎が油断して昼寝したり、亀が身の程を知って、ノタノタ一生懸命に歩きつづけるということは、この世の中に確にある行為だ。けれども、何年、何の時代に、どういう情勢のもとに起ったことだという意味での具体性のないのが、アレゴ・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・ 昼寝して寝がえり打つ拍子にウームと、一太は襖を蹴って、足を突込んだ。母親は一太をぶった。一太が胆をつぶした程、「馬鹿!」と怒鳴って、糊を一銭買わせた。そして、一番新しいつぎを当てた。 一太はそのまだ紙の白いところを眺めたり・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・い死を敢てする若い竹内数馬の苦痛に満たされた行動は、内藤長十郎が報謝と賠償の唯一の道として全意志を傾けて忠利から殉死の許可を獲て、それで己は家族を安穏な地位に置いて、安んじて死ぬことが出来ると、晴々と昼寝してから腹を切りに菩提所東光院に赴い・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・阿部一族のことのあった二三年前の夏の日に、この小姓は非番で部屋に昼寝をしていた。そこへ相役の一人が供先から帰って真裸になって、手桶を提げて井戸へ水を汲みに行きかけたが、ふとこの小姓の寝ているのを見て、「おれがお供から帰ったに、水も汲んでくれ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・彼が親しみを感ずることができなかったのは、こういう村でもすでに見いだすことのできる曖昧宿で、夜の仕事のために昼寝をしている二、三のだらしない女から、都会の文明の片鱗を見せたような無感動な眼を向けられた時だけでした。が、この一、二の例外が、彼・・・ 和辻哲郎 「土下座」
出典:青空文庫