・・・ その日は暮れる、夜が明ける、何も変った事がなくて、朝になっても同じ事。また一日を空に過す…… 山査子の枝が揺れて、ざわざわと葉摺の音、それが宛然ひそめきたって物を云っているよう。「そら死ぬそら死ぬそら死ぬ」と耳の端で囁けば、片々の・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ こうして私たちは日の暮れるのを待った。最初の動機は、Fの意気地なしの懲しめと慰めとを兼ねて一週間も遊びに帰えすつもりだったのが、つい自分ながらいくらか意外なような結果になったのだった。しかしこうした場合だから迷わんで断行した方がいいと・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・「ここでこのまま日の暮れるまで坐っているということは、なんという豪奢な心細さだろう」と私は思った。「宿では夕飯の用意が何も知らずに待っている。そして俺は今夜はどうなるかわからない」 私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮かべた・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 日が暮れるとすぐ寝てしまう家があるかと思うと夜の二時ごろまで店の障子に火影を映している家がある。理髪所の裏が百姓家で、牛のうなる声が往来まで聞こえる、酒屋の隣家が納豆売の老爺の住家で、毎朝早く納豆納豆と嗄声で呼んで都のほうへ向かって出・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・日が暮れると間もなく大概の店は戸を閉めてしまった。闇い一筋町がひっそりとしてしまった。旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明く射していたが、今宵は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり雁頸の太そうな煙管で火鉢の縁をたたく音がする・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 負傷者は、Aの日が暮れるとBの日を待った。Bの日が暮れるとCの日を待った。それからD、E、F……。 ゼットが来なければ、彼等は完全にいのちを拾ったとは云えないのだ。 衛兵にまもられた橇が黒龍江を横切って静かに対岸の林へ辷って行・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ 何だいあれあ、と口々にお祭を意味なく軽蔑しながら、三島の町から逃れ出て沼津をさしてどんどん歩き、日の暮れる頃、狩野川のほとり、江島さんの別荘に到着することが出来ました。裏口から入って行くと、客間に一人おじいさんが、シャツ一枚で寝ころんで居・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・井原退蔵 木戸一郎様 一枚の葉書の始末に窮して、机の上に置きそれに向ってきちんと正坐してみても落ち附かず、その葉書を持って立ち上り、部屋の中をうろうろ歩き廻ってみても、いよいよ途方に暮れるばかりで、いっそ何気なさそうな顔を・・・ 太宰治 「風の便り」
一 雑嚢を肩からかけた勇吉は、日の暮れる時分漸く自分の村近く帰って来た。村と言っても、其処に一軒此処に一軒という風にぽつぽつ家があるばかりで、内地のようにかたまって聚落を成してはいなかった。それに、家屋も掘・・・ 田山花袋 「トコヨゴヨミ」
・・・こうして日の暮れるまで働いておいて朝はもう二時ごろから起きて大根の車のあと押しをして市場へ出るのであろう。 市に近づくに従って空気の濁って来るのが目にも鼻にも感じられた。風のない市の上空には鉛色の煙が物すごくたなびいていた。 もしも・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫