・・・えたものであったが、今思うとそれは予の考違であった、茶の湯は趣味の綜合から成立つ、活た詩的技芸であるから、其人を待って始めて、現わるるもので、記述も議論も出来ないのが当前である、茶の湯に用ゆる建築露路木石器具態度等総てそれ自身の総てが趣味で・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ こんな事を言っていると、いかにも私は我慢してキザに木石を装っている男か、或いは、イムポテンツか、或いは、実は意馬心猿なりと雖も如何せんもてず、振られどおしの男のように思うひともあるかも知れぬが、私は決してイムポテンツでもないし、また、・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・この町でも別にいいというほどの庭ではなかったけれど、乾いた頭脳には、じじむさいような木石の布置が、ことに懐かしく映るのであった。「少し手入れをするといいんですけれど」辰之助はそう言って爪先に埃のついた白足袋を脱いでいたが、彼も東京で修業・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・かりに帝堯をして今日にあらしめなば、いかに素朴節倹なりといえども、段階に木石を用い、屋もまた瓦をもって葺くことならん。また徳川の時代に、江戸にいて奥州の物を用いんとするに、飛脚を立てて報知して、先方より船便に運送すれば、到着は必ず数月の後な・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫