・・・樟の木蔭に、附属家屋のペンキを剥して、職人が一人働いている。私はその男に尋ね、灌木の茂みをわけて通じる石段を更に半丁ばかり登った。頂上で土地が展け、中央に十字架の基督像を繞って花壇がある。雲の断れ目から照り出した初夏の日光に、ゼラニュウムや・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・山歩きをしているうちに、偶然見つけた素晴らしい木蔭、愛すべき小憩み岩、そんなものは先へ先へと何人かの足が廻って既に札を建ててしまう。その癖、今、都会人が散策する山径が、太古は箒川の川底に沈んでいただろう水成岩であること、その知識によって自然・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ つめたい風が渡って居そうに暗い木陰に、忘られた西洋葵の焔の様な花と、高々と聳え立って居る青桐の葉の黄金の網とが、眠りに落ち様とする沈んだ重い種々の者を目さめるまでに引きたてて、まだ虫の音のまばらな、ひると、よるとのとけ合った一時を、思・・・ 宮本百合子 「ひととき」
出典:青空文庫