・・・これらはそういう自我の主観的な感情の動きをさすのではなくて、事物の表面の外殻を破ったその奥底に存在する真の本体を正しく認める時に当然認めらるべき物の本情の相貌をさしていうのである。これを認めるにはとらわれぬ心が必要である。たとえば仏教思想の・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・それで光と称する感覚は依然として存する間に光の本体に関しては今日に到るもなんらの確かな事は知られぬのである。それにも関らず光が一種のエネルギーであるという考えは少しも動かされない。光がエネルギーを搬ぶと考えると光のあらゆる物理的化学的性質を・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・道具は固より本体ではない。 そこで諸君はわかったと云われるかも知れぬ。またはわからぬと云われるかも知れぬ。分った方はそれでよろしいが、分らぬ方には少々説明をしなければなりません。ただいま技巧は道具だと申しました。そう一概に云うと明暸なよ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 一口にいえば、文芸家の仕事の本体即ち essence は人間であって、他のものは附属品装飾品である。 この見地より世の中を見わたせば面白いものです。こういうのは私一人かも知れませんが、世の中は自分を中心としなければいけない。尤も私・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・何人であっても赤裸々たる自己の本体に立ち返り、一たび懸崖に手を撒して絶後に蘇った者でなければこれを知ることはできぬ、即ち深く愚禿の愚禿たる所以を味い得たもののみこれを知ることができるのである。上人の愚禿はかくの如き意味の愚禿ではなかろうか。・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・ ゆえに本塾の教育は、まず文学を主として、日本の文字文章を奨励し、字を知るためには漢書をも用い、学問の本体はすなわち英学にして、英字、英語、英文を教え、物理学の普通より、数学、地理、歴史、簿記法、商法律、経済学等に終り、なお英書の難文を・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・私たち一人一人が、自分のこころもちと行為とに責任をもって、正しいと思うことは正直に主張し、正しいと思うことを実行する方法を思いめぐらし、そして其を実現させてゆく、その態度こそ自由というものの本体であると思います。 例えば、食糧の問題にし・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・と云われたものの本体は、たった一握りの特権者たちの、「私」の利益であったことが明瞭にされました。 自分のこころもち、自分の考えを、どこまでも私ごとという、カラの中に封じておくならば、決して社会は進歩いたしません。 私たちのめいめ・・・ 宮本百合子 「公のことと私のこと」
・・・然し、創作も、筆先の器用さでのみ決するのを正としない自分は、どうかしても、自分と云うその者の本体の裡に戻って考えずにはいられなく成るのである。 男性の中にも、下等な心情の人はある。従って、下等な心情の作家もあり得る。そこ許りを見て、私共・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ あらゆるものの本体を見得る叡智と渾一に成った愛こそ願わしいものです。 自分は、愛の深化ということは、最も箇性的な、各自の本質的なものだと思わずにはいられません。 従って、既成の倫理学の概念や習俗の力は、いざという時、どれ程の力・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
出典:青空文庫