・・・働いておらぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り抜ける極楽水の貧民は打てども蘇み返る景色なきまでに静かである。――実際死んでいるのだろう。ポツリポツリと雨はようやく濃かになる。傘を持って来なかった、ことによると帰・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人大に逆鱗の体で、チンチンチャイナマンと余を罵った、罵られたる余は一矢酬ゆるはずであるが、そこは大悠なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・私たち日本人がすべてこういう兇暴な本性をもっているとはおもわないでください! と。日本にあふれている寡婦の涙をおもってください! と。けれども、同時に私たちは、身の毛のよだつおもいで省みずにいられないとおもう。日本の半封建の権力は、なんと文・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・文学の創造というものが真実人類的な美しい能動の作業であるならば文学に献身するというその人の本性によって、人類、社会が合理的に発展前進しようとする活動に共働しないではいられない。創造そのものがきのうの自分から生きぬけて明日にすすむことでしかな・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・といったということが新聞にでていますが、これはなまよい本性にたがわず、本音でしょう。もちろんあとから本人にきけば「何もおぼえていない」でしょうが極東裁判で天皇が責任をもたないということを明瞭にされて大変によろこんだのは誰だったでしょう、国民・・・ 宮本百合子 「泉山問題について」
・・・事情が変化して、人間らしい自由を建設しようとする本性が伸張されなければならないいまになっても、しいられてできた内部抵抗の癖は、そこまで心情を脱却させないで、これを、民主主義への懐疑、政治的・芸術的良心への疑惑、人間性発展の確信への狐疑として・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・だけれども、その感じは大体感覚の本性にしたがって、ある時が経てば消える。 この動的な生活感情の明暗の推移を、昔の日本人は、人間の心のはかなさと見た。現代の人はそうは見ていない。しかし、感覚的なものとして過ぎてゆく性質の幸福感が、何かその・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・或る場合には自分の本性と反撥するものをも感じつつ尚悲しき利害から毅然たる態度も示しかねる自分に自嘲を感じることもあろう。そのような生きる感情の状態から、新たな文学が生れ得ると考えれば、あまり作家と作品との生活面に於ける統一の重大性を無視した・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・俺の本性はざっとこのようなものだ。実はこういう穢い、弱い、くだらないものももっているのだ。俺の良心は苦しんでいる。そういうような立場、色調でプロレタリア文化・文学運動への参加と敗北との経験が作品化された。そして、こういう作家の態度は、当時の・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・人は密室で本性を現わす無恥な女豚を感じないではいられない。――Kは生ぬるいメフィストを連想させた。彼は自己の醜さを嘲笑する。しかし醜さを焼き滅ぼそうとする熱欲があるからではない。彼は他人の弱所を突いて喜ぶ。しかし悪を憎む道徳的疳癪からではな・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫