・・・それで自分は、天神川の附近から高架線の上を本所停車場に出て、横川に添うて竪川の河岸通を西へ両国に至るべく順序を定めて出発した。雨も止んで来た。この間の日の暮れない内に牽いてしまわねばならない。人々は勢い込んで乳牛の所在地へ集った。 用意・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当らしめた。 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ら、緑雨に限らず誰との交際にも自ずから限度があったが、当時緑雨は『国会新聞』廃刊後は定った用事のない人だったし、私もまた始終ブラブラしていたから、懶惰という事がお互いの共通点となって、私の方からは遠い本所くんだりに余り足が向かなかったが、緑・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・江戸は本所の方に住んでおられました人で――本所という処は余り位置の高くない武士どもが多くいた処で、よく本所の小ッ旗本などと江戸の諺で申した位で、千石とまではならないような何百石というような小さな身分の人たちが住んでおりました。これもやはりそ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・『猫じやらし』という一巻ものなどは即ちそれで、読んでみますると、本所辺の賤しい笑を売る婦人の上を描こうと試みて居るのでございます。しかしそれらは素より馬琴のためにこれを語るさえ余り気の毒な位の、至って些細な、下らぬものでありまして、名誉心と・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・同じ市内でも地盤のつよいところとよわいところでは震動のはげしさもちがいますが、本所のような一ばんひどかった部分では、あっと言って立ち上ると、ぐらぐらゆれる窓をとおして、目のまえの鉄筋コンクリートだての大工場の屋根瓦がうねうねと大蛇が歩くよう・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・戸塚。本所。鎌倉の病室。五反田。同朋町。和泉町。柏木。新富町。八丁堀。白金三光町。この白金三光町の大きな空家の、離れの一室で私は「思い出」などを書いていた。天沼三丁目。天沼一丁目。阿佐ヶ谷の病室。経堂の病室。千葉県船橋。板橋の病室。天沼のア・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・私は、この女の為に、本所区東駒形に一室を借りてやった。大工さんの二階である。肉体的の関係は、そのとき迄いちども無かった。故郷から、長兄がその女の事でやって来た。七年前に父を喪った兄弟は、戸塚の下宿の、あの薄暗い部屋で相会うた。兄は、急激に変・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・長男が中学校の始業日で本所の果てまで行っていたのだが地震のときはもう帰宅していた。それで、時々の余震はあっても、その余は平日と何も変ったことがないような気がして、ついさきに東京中が火になるだろうと考えたことなどは綺麗に忘れていたのであった。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・たとえば東京市の近年の火災について少しばかり調べてみた結果でも、市民一人あての失火の比率とか、また失火を発見して即座に消し止める比率とか、そういう人間的因子が、たとえば京橋区日本橋区のごとき区域と浅草本所のごとき区域とで顕著な区別のあること・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
出典:青空文庫