・・・ところが午後六時にはこの低気圧はさらに深度を強めて北上し、ちょうど札幌の真西あたりの見当の日本海のまん中に来てその威力をたくましくしていた。そのために東北地方から北海道南部は一般に南西がかった雪交じりの烈風が吹きつのり、函館では南々西秒速十・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 一週間も田舎へ行っていたあとで、夜の上野駅へ着いて広小路へ出た瞬間に、「東京は明るい」と思うのであるが、次の瞬間にはもうその明るさを忘れてしまう。 札幌から出て来た友人は、上京した第一日中は東京が異常に立派に美しく見えるという。翌・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・去年札幌へ行って、明治時代の時計台建築の遺物を見て涙が出そうな気がした。年を取ると涙腺の居ずまいが変ると見える。「鉄門」も塞がれた。鉄門という言葉は明治時代の隅田川のボートレースと土手の桜を思い出させる。鉄門が無くなって、隅田堤がコンク・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・ 栄子と共にその夜すみれの店で物を食べた踊子の中の一人はほどなく浅草を去って名古屋に、一人は札幌に行った話をきいた。栄子はその後万才なにがしの女房になって、廓外の路地にはいないような噂を耳にした。わたくしは栄子が父母と共にあの世へ行かず・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
有島武郎の作品の中でも最も長い「或る女」は既に知られている通り、始めは一九一一年、作者が三十四歳で札幌の独立教会から脱退し、従来の交遊関係からさまざまの眼をもって生活を批判された年に執筆されている。「或る女のグリンプス・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・石南花など、七八年前札幌植物園の巖の間で見た時は、ずんぐりで横にがっしりした、まあ謂わば私みたいな形だったのに、ここで見ると同じ種類でもすらりとし、背にのびている。 これは、別府でふと心づいたことだが、九州を歩いて見、どこの樹木でも大体・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・というのは、その我等の主婦はまるで札幌にいるイギリスの独身女宣教師みたいに力を入れない握手をしたのだ。まるきり手を握らないことはソヴェトで珍しくない。だがこういう握手―― ――フランス語おはなしなさいますか? まわりがあまり静かすぎ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 雪の札幌 樹木についた雪、すぐ頭の上まで、積雪で高まった道路の為来るアカシアの裸の、小さいとげのある枝。家々の煙突。 犬の引く小さい運搬用橇 石炭をつんでゆく馬橇 女のカクマキ姿 空、晴れてもあの六・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
一八九九年二月十三日。東京市小石川区原町で生れた。父中條精一郎母葭江。生後十ヵ月から満三歳まで両親と札幌で育った。一九〇五年東京市本郷区駒本尋常高等小学校へ入学。父はイギリスへ行っていた。小さ・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫