・・・東京名物の一銭蒸汽の桟橋につらなって、浦安通いの大きな外輪の汽船が、時には二艘も三艘も、別の桟橋につながれていた時分の事である。 わたくしは朝寐坊むらくという噺家の弟子になって一年あまり、毎夜市中諸処の寄席に通っていた事があった。その年・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ざまあ見やがれ、鼻血なんぞだらしなく垂らしやがって―― 私は、本船から、艀から、桟橋から、ここまでの間で、正直の処全く足を痛めてしまった。一週間、全一週間、そのために寝たっきり呻いていた、足の傷の上にこの体を載せて、歩いたので、患部に夥・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落ちつかぬ。平凡といえば平凡だ。海楼が利かぬと思えば利かぬ。家の内だから月夜に利かぬ者とすれば家の外へ持って行けば善い。「桟橋に別れを惜む月夜かな」と直した。この時は・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・故参の大尉参謀が同僚を代表して桟橋まで来ていた。 雨がどっどと降っている。これから小倉までは汽車で一時間は掛からない。川卯という家で飯を焚かせて食う。夜が明けてから、大尉は走り廻って、切符の世話やら荷物の世話やらしてくれる。 汽車の・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・この船宿の桟橋ばかりに屋根船が五六艘着いている。それへ階上階下から人が出て乗り込む。中には友禅の赤い袖がちら附いて、「一しょに乗りたいわよ、こっちへお出よ」と友を誘うお酌の甲走った声がする。しかし客は大抵男ばかりで、女は余り交っていないらし・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・湖を渡る蒸気船が学校のすぐ横の桟橋から朝夕出ていったり、這入って来たりするたびに、汽笛が鳴った。ここの学校に私は一ヶ月もいると、すぐ同じ街の西の端にある学校へ変った。家がまた新しく変ったからであるが、この第二の学校のすぐ横には疏水が流れてい・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫