・・・けれどもそれよりいちばんいいことはやっぱりその足あとを切り取って、そのまま学校へ持って行って標本にすることでした。どうせまた水が出れば火山灰の層が剥げて、新らしい足あとの出るのはたしかでしたし、今のは構わないでおいてもすぐ壊れることが明らか・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
これが今日のおしまいだろう、と云いながら斉田は青じろい薄明の流れはじめた県道に立って崖に露出した石英斑岩から一かけの標本をとって新聞紙に包んだ。 富沢は地図のその点に橙を塗って番号を書きながら読んだ。斉田はそれを包みの・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・それは大へん小さくて、地理学者や探険家ならばちょっと標本に持って行けそうなものではありましたがまだ全くあたらしく黄いろと赤のペンキさえ塗られていかにも異様に思われ、その前には、粗末ながら一本の幡も立っていました。 私は老人が、もう食事も・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・実にいい標本だね。火山弾の典型だ。こんなととのったのは、はじめて見たぜ。あの帯の、きちんとしてることね。もうこれだけでも今度の旅行は沢山だよ。」「うん。実によくととのってるね。こんな立派な火山弾は、大英博物館にだってないぜ。」 みん・・・ 宮沢賢治 「気のいい火山弾」
・・・この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨きな蟹の甲らだのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕「お父さんはこの次はおまえにラッコ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・の原稿は、日本の言論抑圧の標本として、赤鉛筆の姿をそのまま、いつか多くの人の目にふれる機会をもつだろう。「朝の風」という作品は、作者が心いっぱいにもっている思いを、そのまま自然に表現の出来ないために、まるで猿ぐつわのすき間から洩れる声の・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・今芳子さんが自分と一緒にいないのは、彼女が当番で、次の理科の時間に使う標本を、先生のお手伝で揃えているからなのです。「芳子さんは親切な好い方よ」と政子さんは云うべきなのだと云う事は解っていましたが、友子さんが、大きな二つの眼で自分を凝と見詰・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ 玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年学校を卒業なさった方に、これがどこの光景だか分るでしょうか。私が毎日毎日通った時分、誠之は斯様に黒い木の門と、足の下でザクザクい・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・住宅問題は、政府の空手形の標本です。 日本の民主化と婦人の社会的地位の向上、封建的な重さからの解放は現実生活の一つ一つを実際に解決してゆける基本的方針をもった民主的政権がたてられなければ実現しません。このことは日本人民が自分達の一生の運・・・ 宮本百合子 「今度の選挙と婦人」
・・・という作品などは、文学の大衆化が誤って理解された芸術的実践の一つの不幸な標本を示していると思われる。 ひとくちに、大衆と云っても、その規定のしかたはいくつかあると思う。少くとも、大衆が低い文化をもっている方が御し易いという視点にたって大・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
出典:青空文庫