・・・ 旗本の一人、――横田甚右衛門はこう言って家康に一礼した。 しかし家康は頷いたぎり、何ともこの言葉に答えなかった。のみならず直孝を呼び寄せると、彼の耳へ口をつけるようにし、「その女の素姓だけは検べておけよ」と小声に彼に命令した。・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・ときの切支丹奉行は横田備中守と柳沢八郎右衛門のふたりであった。白石は、まえもってこの人たちと打ち合せをして置いて、当日は朝はやくから切支丹屋敷に出掛けて行き、奉行たちと共に、シロオテの携えて来た法衣や貨幣や刀やその他の品物を検査し、また、長・・・ 太宰治 「地球図」
・・・その殉死の理由は、それから三十年も昔、主命によって長崎に渡り、南蛮渡来の伽羅の香木を買いに行ったとき、本木を買うか末木を買うかという口論から、本木説を固守した彌五右衛門は相役横田から仕かけられてその男を只一打に討ち果した。彌五右衛門は「某は・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ ○宍戸に竹内どてらなどくれる。 ○横田 中央出、両方にはさまりどうしたら利口に立ち廻れるかと考えている男。 ○小野 ○唐沢 老人、眠って居るいつも竹内の弱点をにぎる ○三輪 ○竹中 竹内にすっかり恩になったのに反竹・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・ 法学博士横田喜三郎氏が、『時論』五月号の評論に詳細に述べておられるとおり、第二次大戦で直接国土に戦禍をうけなかった国はアメリカだけである。アメリカは第一次大戦においても同じ幸運を保った。第二次大戦では軍人だけの損失が一五〇〇万人とされ・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・ 寛永元年五月安南船長崎に到着候時、三斎公は御薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御茶事に御用いなされ候珍らしき品買い求め候様仰含められ、相役横田清兵衛と両人にて、長崎へ出向き候。幸なる事には異なる伽羅の大木渡来いたしおり候。然るところ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫