・・・おきみ婆さんは昔大阪の二等俳優の細君でしたが、芸者上りの妾のために二人も子のある堀江の家を追いだされて、今日まで二十五年の歳月、その二人の子の継子の身の上を思いつめながら野堂町の歯ブラシ職人の二階を借りて、一人さびしく暮してきたという女でし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・プウシキンもゴーゴリも、それはまるで外国製の歯ブラシの名前みたいな、味気ないものに思われました。銭湯を出て、橋を渡り、家へ帰って黙々とめしを食い、それから自分の部屋に引き上げて、机の上の百枚ちかくの原稿をぱらぱらとめくって見て、あまりのばか・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 鶴は洗面所で歯を強くみがき、歯ブラシを口にふくんだまま食堂に行き、食卓に置かれてある数種類の新聞のうらおもてを殺気立った眼つきをして調べる。出ていない。どの新聞も、鶴の事に就いては、ひっそり沈黙している。この不安。スパイが無言で自分の・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 床から二尺というところに手拭、歯ブラシ、アルミニュームのコップがキチンとぶら下っている。が、どれが金毛のインので、どれがみそっぱのターシャのかという区別をつけるために、それぞれの釘の上へ一枚ずつ絵がはりつけてある。 猫。犬。鶏。牛・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・水道栓のわきに、低くミーチャの手拭と歯ブラシとがぶら下ってる。ミーチャは真面目くさった様子で、ちゃんと歯ブラシを上下につかって歯を洗った。 こういう風に低く自分の歯ブラシや手拭を風呂場へぶら下げとくことは、ミーチャにとって大得意だ。ミー・・・ 宮本百合子 「楽しいソヴェトの子供」
・・・病兵はタオルとシャボン、ナイフとフォーク、櫛と歯ブラシとを、喜んで使い初めた。六ヵ月の間に病院の料理場と洗濯場とは改良され、本国からの積送品を整理するための政府の倉庫ができ、病兵の寝具類は煮沸器で消毒されるようになった。彼女が病兵にもスープ・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
出典:青空文庫