・・・そしてK君の死体が浜辺に打ちあげられてあった、その前日は、まちがいもなく満月ではありませんか。私はただ今本暦を開いてそれを確かめたのです。 私がK君と一緒にいました一と月ほどの間、そのほかにこれと言って自殺される原因になるようなものを、・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ うしろの闇の中で待っていたその娘は、急にへしゃげてしまった親爺の屍体によりかゝって泣き出した。「泣くでない。泣くでない。泣いたって今更仕様がねえ。」 武松が、屍体に涙がかゝっては悪いと思いながら、娘の肩を持ってうしろへ引っぱっ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・引かれて死体は丁度客の坐の直ぐ前に出て来ました。 「詰らねえことをするなよ、お返し申せと言ったのに」と言いながら、傍に来たものですから、その竿を見まするというと、如何にも具合の好さそうなものです。竿というものは、節と節とが具合よく順に、・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・目がくらみそうになる、そのうちに、たまたま、水見たいなものが手にさわったので、それへ口をつけて、むちゅうでぐいぐい飲んだまではおぼえているが、あとで考えると、その水気というのは、人の小便か、焼け死んだ死体のあぶらが流れたまっていたのだろうと・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・落下、落下、死体は腐敗、蛆虫も共に落下、骨、風化されて無、風のみ、雲のみ、落下、落下――。など、多少、いやしく調子づいたおしゃべりはじめて、千里の馬、とどまるところなき言葉の洪水、性来、富者万燈の御祭礼好む軽薄の者、とし甲斐もなく、夕食の茶・・・ 太宰治 「創生記」
・・・それから雪の死体を海から引きあげるのに三時間以上をついやした。断崖のしたの海岸まで行くのには、どうしても、それだけの時間がかかるのである。私は、ひとりぼんやり山を降りた。ああ、しかし内心は、ほっとしていたのである! これでもう何もかも、かた・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ 翌朝、勝治の死体は、橋の杙の間から発見せられた。 勝治の父、母、妹、みんな一応取り調べを受けた。有原も証人として召喚せられた。勝治の泥酔の果の墜落か、または自殺か、いずれにしても、事件は簡単に片づくように見えた。けれども、決着の土・・・ 太宰治 「花火」
・・・ 溺死者の屍体が二、三日もたって上がると、からだ中に黄螺が附いて喰い散らしていて眼もあてられないという話を聞いて怖気をふるったことであった。 海水着などというものはもちろんなかった。男子はアダム以前の丸裸、婦人は浴衣の紐帯であったと・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・明治大学前に黒焦の死体がころがっていて一枚の焼けたトタン板が被せてあった。神保町から一ツ橋まで来て見ると気象台も大部分は焼けたらしいが官舎が不思議に残っているのが石垣越しに見える。橋に火がついて燃えているので巡査が張番していて人を通さない。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・ 病院で手術した患者の血や、解剖学教室で屍体解剖をした学生の手洗水が、下水を通して不忍池に流れ込み、そこの蓮根を肥やすのだと云うゴシップは、あれは嘘らしい。 廊下の東詰の流しの上の明かり窓から病院の動物小屋が見える。白兎やモルモット・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
出典:青空文庫