・・・だから彼等は馬の頭を立て直すと、いずれも犬のように歯をむき出しながら、猛然として日本騎兵のいる方へ殺到した。すると敵も彼等と同じ衝動に支配されていたのであろう。一瞬の後には、やはり歯をむき出した、彼等の顔を鏡に映したような顔が、幾つも彼等の・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ お前たちが六つと五つと四つになった年の八月の二日に死が殺到した。死が総てを圧倒した。そして死が総てを救った。 お前たちの母上の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか、デパート娘があきれるほど殺到して、青い暖簾の外へ何本もの足を裸かのまま、あるいはチョコレート色の靴下にむっちり包んで、はみ出している。そういう若い娘たちにまじって、例の御寮人さんは浮かぬ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋というものもこの世にまだ在・・・ 太宰治 「座興に非ず」
・・・一年にいちどの逢う瀬をたのしもうとしている夜に、下界からわいわい陳情が殺到しては、せっかくの一夜も、めちゃ苦茶になってしまうだろうに。けれども、織女星も、その夜はご自分にも、よい事のある一夜なのだから、仕方なく下界の女の子たちの願いを聞きい・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・にはいって、八時間待ち、午後十時十分発の奥羽線まわり青森行きに乗ろうとしたが、折あしく改札直前に警報が出て構内は一瞬のうちに真暗になり、もう列も順番もあったものでなく、異様な大叫喚と共に群集が改札口に殺到し、私たちはそれぞれ幼児をひとりずつ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・プラットフォームの群集は、例のとおり、止りかかる電車目がけて殺到した。すると、高く駅員の声が響いた。「この電車は、南方より復員の貸切電車であります。どなたも、おのりにならないように願います」 丁度目の前でドアが開いて、七分通り満員の・・・ 宮本百合子 「一刻」
・・・ けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到して来る負傷者たちをどうしたらいいだろう。キュリー夫人はある事を思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじ・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・彼は、激しい愛情を、彼女の一本の手の中に殺到させた。「しっかりしろ。ここにいるぞ。」「うん。」と彼女は答えた。 彼女の把握力が、生涯の力を籠めて、彼の手の中へ入り込んで来た。「あなた、あたし、もう死んでよ。」と妻はいった。・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫