・・・という川端康成氏の短篇集の扉には、夢川利一様、著者、と毛筆で書かれて在って、それは兄が、伊豆かどこかの温泉宿で川端さんと知り合いになり、そのとき川端さんから戴いた本だ、ということになっていたのですが、いま思えば、これもどうだか、こんど川端さ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・にいたるこの数行の文章は、日本紙に一字一字、ていねいに毛筆でもって書きしたためられ、かれの書斎の硯箱のしたに隠されていたものである。案ずるに、かれはこの数行の文章をかれ自身の履歴書の下書として書きはじめ、一、二行を書いているうちに、はや、か・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・私は、その紙袋に毛筆で、「晩年」と書いた。その一聯の遺書の、銘題のつもりであった。もう、これで、おしまいだという意味なのである。」 こんなところがまあ、当時の私の作品の所謂、「楽屋裏」であった。この紙袋の中の作品を、昭和八、九、十、十一・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・私は、その紙袋に毛筆で、「晩年」と書いた。その一聯の遺書の、銘題のつもりであった。もう、これで、おしまいだという意味なのである。芝の空家に買手が附いたとやらで、私たちは、そのとしの早春に、そこを引き上げなければならなかった。学校を卒業できな・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・また、弘化二年、三十四歳の晩春、毛筆の帽被を割りたる破片を机上に精密に配列し以て家屋の設計図を製し、之によりて自分の住宅を造らせた。けれども、この家屋設計だけには、わずかに盲人らしき手落があった。ひどい暑がりにて、その住居も、風通しのよき事・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・ 千朶山房の草稿もその晩年『明星』に寄せられたものを見るに無罫の半紙に毛筆をもって楷行を交えたる書体、清勁暢達、直にその文を思わしむるものがあった。 わたしはしばしば家を移したが、その度ごとに梔子一株を携え運んで庭に植える。啻に花を・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦っているものですら、愈万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何に拘わらず、毛筆を棄てペンを棄てて此方に向うのは向う・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・ 目白の女子大学には、まだ成瀬校長が存命であって、私が英文予科の一年に入ったときは、ゴチックまがいの講堂で一人一人前へ出て画帳のようなものへ毛筆で何か文句を書かされたりした。私は大変本気な顔つきで、求めよ、さらば与へられん、という字を書・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 主人は顔を下に向けゆっくりと毛筆を運びながら、応答している。「やっぱり、外であがるようには行きませんでしてね」「そうでしょうねエ」 感慨をこめて答えているが、その若い女のひとには、どんな風にそれが外で食べるようには行かない・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・それを親たちの寝所になっていた六畳の張出し窓のところへ据えて、頻りに私が毛筆で書き出したのは、一篇の長篇小説であった。題はついていたのか、いなかったのか、なかみを書く紙は大人の知らない間にどこからか見つけ出して来て白い妙にツルツルした西洋紙・・・ 宮本百合子 「行方不明の処女作」
出典:青空文庫