・・・しかるにかくのごとき曙覧をも古来有数の歌人として賞せざるべからざる歌界の衰退は、あわれにも気の毒の次第と謂わざるべからず。余は曙覧を論ずるに方りて実にその褒貶に迷えり。もしそれ曙覧の人品性行に至りては磊々落々世間の名利に拘束せられず、正を守・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・さっきの泉で洗いますから、下駄をお借老人は新らしい山桐の下駄とも一つ縄緒の栗の木下駄を気の毒そうに一つもって来た。(いいえもう結構 二人はわらじを解いてそれからほこりでいっぱいになった巻脚絆をたたいて巻き俄かに痛む膝をまげるようにし・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・こういうことを考えついたり、貴族院議員をやめたり、兄が兄がと亢奮して気の毒である。〔一九三七年七月〕 宮本百合子 「雨の小やみ」
・・・実は反対に記者のために頗る気の毒な、失敬な事を考えた。情調のある作品として挙げてある例を見て、一層失敬な事を考えた。 木村の蹙めた顔はすぐに晴々としてしまった。そして一人者のなんでも整頓する癖で、新聞を丁寧に畳んで、居間の縁側の隅に出し・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・そしてあの小さい綺麗な女房がまたパンの皮を晩食にするかと思うと、気の毒でならなかった。ところがその心持を女房に知らせたくないので、女房をどなり附けた。「あたりめえよ。銭がありゃあ皆手めえが無駄遣いをしてしまうのだ。ずべら女めが。」 ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「ふむ、それは気の毒なことやなア、長いこと見んで、私ゃもうすっかり見忘れて了うたわ。何年程になるなア?」「九年や。」「もうそんなになるかいな、幾つやな、そうすると四十?」「四十二や。」「四十二か。まあ厄年やして。」「・・・ 横光利一 「南北」
・・・十四になった誕生日には初めてジュリアをつとめたが、そのころは見すぼらしい、弱々しげな、見ていて気の毒になるような小娘であった。人を引きつける力などは少しもない。暇さえあると古い彫刻と対坐していつまでもいつまでもじっとしている。 一八七九・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫