・・・そうなったら、自由に泳ぐことを許してあげよう。」 子供は、お母さんに、こういわれると、おとなしくしていなければなりませんでした。しかし、それは、元気のいい子供には、なかなか退屈なことでありました。 ある日のこと、子供は、急に、頭の上・・・ 小川未明 「魚と白鳥」
・・・が彼は躍起となって、その大きな身体を泳ぐような恰好して、飛びついては振り飛ばされ、飛びついては振り飛ばされながらも、勝ち誇った態度の浪子夫人に敗けまいと意気ごんだ。「梅坊主! 梅坊主」 私はこう心の中に繰返して笑いをこらえていたが、・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・海で泳ぐものは一人もない。波の間に枕などが浮いていると恐ろしいもののような気がした。その島には井戸が一つしかなかった。 暗礁については一度こんなことがあった。ある年の秋、ある晩、夜のひき明けにかけてひどい暴風雨があった。明方物凄い雨風の・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・『いい心持ちだ吉さんおいでよ』と呼ぶはお絹なり、吉次は腕を組んで二人の游ぐを見つめたるまま何とも答えず。いつもならばかえって二人に止めらるるほど沖へ出てここまでおいでとからかい半分おもしろう游ぐだけの遠慮ない仲なれど、軍夫を思い立ちてよ・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・なるほど、ちょっと見ると何物とも判然しないが、しきりに海を游ぐ者がある。見ているうちに小舟が一艘、磯を離れたと思うと、舟から一発打ち出す銃音に、游いでいた者が見えなくなった。しばらくして小舟が磯に還った。『今のは太そうな奴だな、フン、う・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・両足を括って水に漬られているようなもので、幾らわたしが手を働かして泳ぐ積りでも、段々と深みへ這入って、とうとう水底に引き込まれるんだわ。その水底にはお前さんが大きな蟹になって待っていて、鋏でわたしを挟むのだわ。それが今ここにこうしているわた・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・老博士は、ビヤホールの廻転ドアから、くるりと排出され、よろめき、その都会の侘びしい旅雁の列に身を投じ、たちまち、もまれ押されて、泳ぐような恰好で旅雁と共に流れて行きます。けれども、今夜の老博士は、この新宿の大群衆の中で、おそらくは一ばん自信・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・「そうして君に出来る唯一の行動は、まっぱだかで人喰い川を泳ぐだけのものじゃないか。ぶんを知らなくちゃいけない。」私は、勝ったと思った。「さっきは、あれは、特別なんだよ。」少年は、大人のような老いた苦笑をもらした。「どうも、ごちそうさ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・その水中を泳ぐ格好がなかなか滑稽で愛敬があり到底水上では見られぬ異形の小妖精の姿である。鳥の先祖は爬虫だそうであるが、なるほどどこか鰐などの水中を泳ぐ姿に似たところがあるようである。もっとも親鳥がこんな格好をして水中を泳ぎ回ることは、かつて・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・そのうちに天気が好くなると今度は強い南のから風が吹いて、呼吸もつまりそうな黄塵の中を泳ぐようにして駆けまわらねばならなかった。そして帽子をさらわれないために間断なき注意を余儀なくさせられた。電車に乗ると大抵満員――それが日本特有の満員で、意・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
出典:青空文庫