・・・マダムはすぐ酔っ払ったが、私も浅ましいゲップを出して、洋酒棚の下の方へはめた鏡に写った顔は仁王のようであった。マダムはそんな私の顔をにやっと見ていたが、何思ったのか。「待っててや。逃げたらあかんし」と蓮葉に言って、赤い斑点の出来た私の手・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ ずらっと並んだ洋酒の壜を見ながら自分は少し麦酒の酔いを覚えていた。 三 ライオンを出てからは唐物屋で石鹸を買った。ちぐはぐな気持はまたいつの間にか自分に帰っていた。石鹸を買ってしまって自分は、なにか今のは変だと・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・よく拭き込んだ板敷の床は凸凹だらけの土間に変り、鏡の前に洋酒の並んだラック塗りの飾り棚の代りには縁台のようなものが並んで、そこには正札のついた果物の箱や籠や缶詰の類が雑然と並んでいた。昔は大きな火鉢に炭火を温かに焚いていたのが、今は煤けた筒・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・当時都下に洋酒と洋食とを鬻ぐ店舗はいくらもあった。又カウンターに倚りかかって火酒を立飲する亜米利加風の飲食店も浅草公園などには早くから在ったようであるが、然し之を呼ぶにカッフェーの名を以てしたものは一軒もなかった。カッフェーの名の行われる以・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・いつも行く神保町の洋酒屋へ往って、ラッキョを肴で正宗を飲んだ。自分は五勺飲むのがきまりであるが、この日は一合傾けた。この勢いで帰って三角を勉強しようという意気込であった。ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬようになって、自分の室・・・ 正岡子規 「酒」
出典:青空文庫