・・・緋も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡だの、いつも淡泊した円髷で、年紀は三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁で、五尺の菖蒲の裳を曳いた姿を見たものがある、と聞く。……貴・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・調和の間に新意をまじえ、古書を賞し古墨跡を味い、主客の対話起座の態度等一に快適を旨とするのである、目に偏せず、口に偏せず、耳に偏せず、濃淡宜しきを計り、集散度に適す、極めて複雑の趣味を綜合して、極めて淡泊な雅会に遊ぶが茶の湯の精神である、茶・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・第一言い伝えの話が非常に詩的だし、期節はすがすがしい若葉の時だし、拵えようと云い、見た風と云い、素朴の人の心其のままじゃないか。淡泊な味に湯だった笹の香を嗅ぐ心持は何とも云えない愉快だ」「そりゃ東京者の云うことだろう。田舎に生活してる者・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・小説家であって一向小説家らしくなかった人、政治家を志ざしながら少しも政治家らしくなかった人、実業家を希望しながら企業心に乏しく金の欲望に淡泊な人、謙遜なくせに頗る負け嫌いであった人、ドグマが嫌いなくせに頑固に独断に執着した人、更に最う一つ加・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・世の中には対人関係、人と人との触れ合いについてかなり淡白な関心しか持っていない人々もあるが、しかし人間の精神生活というものはその大部分、特に深い部分を対人関係に持っているといわねばならぬ。対人関係に気のない人は人生に気のない人である。生きる・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・この危機を恐れるならば、他人に対して淡泊枯淡あまり心をつながずに生きるのが最も賢いが、しかしそれではこの人生の最大の幸福、結実が得られないのであるならば、勇ましくまともにこの人生の危機にぶつかる態度をもって、しかしそれだけにつつましく知性と・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・少年の時分から私は割合に金銭に淡白なほうで、余分なものをたくわえようとするような、そういう考えをきょうまで起こした覚えもない。今度という今度は、それが私に起こって来た。私もやっぱり、金でもたくわえて置いて、余生を安く送ろうとするような年ごろ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・と私は、少年をてれさせないように努めて淡泊の返事をして、また、ゆっくりと番茶を啜り、少年の事になど全く無関心であるかのように池の向うの森ばかりを眺めていた。あの森の中には、動物園が在る。きあっと、裂帛の悲鳴が聞えた。「孔雀だよ。いま鳴い・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・ 母は、若い者の無心な淡泊さに、そっとお礼を言いたいような気がしていた。自分の濁った狼狽振りを恥ずかしく思った。信頼していていいのだと思った。「どう? 考えがまとまりましたか? おやすみになったままで、どんどん言ったらいい。お母さん・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・何かしらこの淡泊の中にしっかりした「しめくくり」が欲しいような気がする。海岸に岩がころがっている絵があると思って、目録を見たら「柿」としてあった。 正宗氏と鍋井氏の絵を見ると、かなり熱心に自分の殻を突き破る事に努力しているという事が・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
出典:青空文庫