・・・十六夜清心が身をなげた時にも、源之丞が鳥追姿のおこよを見そめた時にも、あるいはまた、鋳掛屋松五郎が蝙蝠の飛びかう夏の夕ぐれに、天秤をにないながら両国の橋を通った時にも、大川は今のごとく、船宿の桟橋に、岸の青蘆に、猪牙船の船腹にものういささや・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・もしもし、清心様とおっしゃる尼様のお寺はどちらへ、と問いくさる。はあ、それならと手を取るように教えてやっけが、お前様用でもないかの。いい加減に遊ばっしゃったら、迷児にならずに帰らっしゃいよ、奥様が待ってござろうに。」 と語りもあえず歩み・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・また清元の十六夜清心には「蓮の浮き葉の一寸いと恍れ、浮いた心ぢやござんせぬ。弥陀を契ひに彼の世まで……結びし縁の数珠の緒を」という一ふしがある。 しかしすべての結合がこういった純真な悲劇で終わるとはもとより限らない。ある者はやむなく、あ・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・されば隣りで唄う歌の文句の「夢とおもひて清心は。」といい「頼むは弥陀の御ン誓ひ、南無阿弥陀仏々々々々々々。」というあたりの節廻しや三味線の手に至っては、江戸音曲中の仏教的思想の音楽的表現が、その芸術的価値においてまさに楽劇『パルシフヮル』中・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・阿久の三味線で何某が落人を語り、阿久は清心を語った。銘々の隠芸も出て十一時まで大騒ぎに騒いだ。時は明治四十三年六月九日。 この時代には電車の中で職人が新聞をよむような事もなかったので、社会主義の宣伝はまだ深川の裏長屋には達していなか・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫