・・・つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである。実に驚くべき現象である。 烏瓜の花は「花の骸骨」とでも云った感じのするものである。遠くから見ると吉野紙のようでもありまた一抹の煙のようでもある。手に取・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・夏中ぽつりぽつり咲いていたカンナが、今頃になって一時に満開の壮観を呈している。何とか云う名の洋紅色大輪のカンナも美しいが、しかし札幌円山公園の奥の草花園で見た鎗鶏頭の鮮紅色には及ばない。彼地の花の色は降霜に近づくほど次第に冴えて美しくなるそ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・…… 植物園では仏桑花、ベコニア、ダリア、カーネーション、それにつつじが満開であった。暑くて白シャツの胸板のうしろを汗の流れるのが気持ちが悪かった。両手を見るとまっかになって指が急に肥ったように感じられた。 ケーブルカーの車掌は何を・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・手水鉢の向かいの梅の枝に二輪ばかり満開したのがある。近づいてよく見ると作り花がくっつけてあった。おおかた病人のいたずららしい。茶の間の障子のガラス越しにのぞいて見ると、妻は鏡台の前へすわって解かした髪を握ってぱらりと下げ、櫛をつかっている。・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・小涌谷辺は桜が満開で遊山の自動車が輻湊して交通困難であった。たった一台交通規則を無視した車がいたため数十台が迷惑するというのがこういう場合の通則である。「クラブ洗粉」の旗を立てた車も幾台かいた。享楽しながら商売の宣伝になるのは能率のいいこと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・ 二 庭と中庭との隔ての四つ目垣がことしの夏は妙にさびしいようだと思って気がついて見ると、例年まっ黒く茂ってあの白い煙のような花を満開させるからすうりが、どうしたのかことしはちっとも見えない。これはことしの例外的・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・そして桜花満開の時の光景を叙しては、「若シ夫レ盛花爛漫ノ候ニハ則全山弥望スレバ恰是一団ノ紅雲ナリ。春風駘蕩、芳花繽紛トシテ紅靄崖ヲ擁シ、観音ノ台ハ正ニ雲外ニ懸ル。彩霞波ヲ掩ヒ不忍ノ湖ハ頓ニ水色ヲ変ズ。都人士女堵ヲ傾ケ袂ヲ連ネ黄塵一簇雲集群遊・・・ 永井荷風 「上野」
・・・正午すこし前、お民は髪を耳かくしとやらに結い、あらい石だたみのような飛白お召の単衣も殊更袖の長いのに、宛然田舎源氏の殿様の着ているようなボカシの裾模様のある藤紫の夏羽織を重ね、ダリヤの花の満開とも言いたげな流行の日傘をさして、山の手の静な屋・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・温室の窓のように若々しく汗をかいた硝子戸の此方にはほのかに満開の薫香をちらすナーシサス耳ざわりな人声は途絶えきおい高まったわが心とたくましい大自然の息ぶきばかりが丸き我肉体の内外を包むのだ。ああ よき暴風・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・今日は割合のんきな日で満開の山茶花の花を、二階からながめたりします。咲枝さんは正に今にも、というところで、うち中待機の姿勢です。なかなかの緊張ぶりです。 お正月になったらと楽しみなことがあります。それはまた自分で手紙をかいてもいいという・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫