・・・また始めにはカメラが、従って観客が、あたかも鳥にでもなったように高い空からだんだんに裏町の舗道におりて行って歌う人と聞く人の群れの中に溶け込むのであるが、最後の大団円には、そのコースを逆の方向に取って観客はだんだん空中にせり上がって行って、・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・来たのであったが、その時からまたさらに二十年を隔てた今の自分には、この油絵のスイスと、現実に体験したスイスとの間の差別の障壁はおおかた取り払われてしまって、かえって二十年前の現実が四十年前の幻像の中に溶け込むようにも思われるのである。 ・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・真鍮の太い手摺にぴったりよって立ち、私は、ぼんやり空想の世界に溶け込む。 ああ、あの高貴そうな金唐草の頸長瓶に湛えられている、とろりとした金色の液を見よ。揺れると音が立ち、日が直射すると虹さえ浮き立ちそうな色だ。 彼方の清らかな棚に・・・ 宮本百合子 「小景」
・・・だまりが出来たりしていた、その光景は変化のない日常の中で不思議な新鮮さをもって印象にのこったが、折から目に映じるそういう荒々しい春の風物と、新しく私のうちに生じて重大な作用を営みはじめた悲しみが歓喜に溶け込む異常な感覚とは、互に生々しく交り・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫