・・・一昨日の晩宵の口に、その松のうらおもてに、ちらちら灯が見えたのを、海浜の別荘で花火を焚くのだといい、否、狐火だともいった。その時は濡れたような真黒な暗夜だったから、その灯で松の葉もすらすらと透通るように青く見えたが、今は、恰も曇った一面の銀・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・――旅のあわれを味わおうと、硝子張りの旅館一二軒を、わざと避けて、軒に山駕籠と干菜を釣るし、土間の竈で、割木の火を焚く、侘しそうな旅籠屋を烏のように覗き込み、黒き外套で、御免と、入ると、頬冠りをした親父がその竈の下を焚いている。框がだだ広く・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 去ぬる……いやいや、いつの年も、盂蘭盆に墓地へ燈籠を供えて、心ばかり小さな燈を灯すのは、このあたりすべてかわりなく、親類一門、それぞれ知己の新仏へ志のやりとりをするから、十三日、迎火を焚く夜からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・炉に焚く火はあかあかと燃えて、台所の障子にも柱にも映っている。いそいそと立ち働くお新が居る。下女が居る。養子も改まった顔付で奥座敷と台所の間を往ったり来たりしている。時々覗きに来る三吉も居る。そこへおげんの三番目の弟に連れられて、しょんぼり・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・を探って歩き、蔵前の旦那衆は屋根舟に芸者と美酒とを載せて、「ほんに田舎もましば焚く橋場今戸」の河景色を眺めて喜んだ。 最初河水の汎濫を防ぐために築いた向島の土手に、桜花の装飾を施す事を忘れなかった江戸人の度量は、都会を電信柱の大森林たら・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を攫んで香炉の裏になげ込む。「蛸懸不揺、篆煙遶竹梁」と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。「夢の話しを蜘蛛もきき・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・薪を集めることから焚くことから、子供の世話をすることでも何でも、みな女の人が自分の体で解決しなければいけません。ところがアメリカのような国になると、電気とかいろいろな社会設備が発達しているから、家事的な労働の大部分は公共的な簡便さで解決され・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・ 今頃お前、夕飯前でこれから焚くとこやがな。」「ちょびっとでも好えがな。」「じゃ見て来てやるわ。」 お霜は台所へ這入った。勘次は表へ出て北の方を眺めてみたが、秋三の姿は竹藪の向うに消えていた。彼は又秋三とひと争いをしなければなら・・・ 横光利一 「南北」
・・・「その火は、いつまで焚くんです?」と彼は訊いた。「これだけだ。」と若者はいいながら火のついた麦藁を鎌で示した。「その火は焚かなくちゃ、いけないものですか。」 若者は黙って一握りの青草に刃をあてた。「僕の家内は、この煙りの・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・り握りながら、テカテカする梯子段を登り、長いお廊下を通って、漸く奥様のお寝間へ行着ましたが、どこからともなく、ホンノリと来る香は薫り床しく、わざと細めてある行燈の火影幽かに、室は薄暗がりでしたが、炉に焚く火が、僅か燃残って、思い掛けぬ時分に・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫