・・・老人の、ひとのよい無学ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬でなく頬をあからめ、それから匙を握ったまま声しのばせて泣いたという。 盗賊 ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐な・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ば、キウリ不着の趣き御手数ながら御地停車場を御調べ申し御返事願上候、以上は奥様へ御申伝え下されたく、以下、二三言、私、明けて二十八年間、十六歳の秋より四十四歳の現在まで、津島家出入りの貧しき商人、全く無学の者に候が、御無礼せんえつ、わきまえ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。 × しかし彼等は脅迫した。天皇の名を騙って脅迫した。私は天皇を好きである。大好きである。しかし、一夜ひそかにその天皇を、おうらみ申した事さえあっ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・私は技巧的な微笑を頬に浮かべて、「君は、さっきから僕を無学だの低能だのと称しているが、僕だって多少は、名の有る男だ。事実、無学であり低能ではあるが、けれども、君よりは、ましだと思っている。君には、僕を侮辱する資格は無いのだ。君の不当の暴言に・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私は貧乏で、なまけもので、無学で、そうして甚だ、いい加減の小説ばかり書いている。軽蔑されて、至当なのである。 君は苦しいか、と私は私の無邪気な訪客に尋ねる。それあ、苦しいですよ、と饅頭ぐっと呑みこんでから答える。苦しいにちがいないのであ・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・それは何も私が教養ある上品な人物で相手は無学な田舎親爺だからというわけではなかった。そんな事は、絶対に無い。私は全然無教養な淫売婦と、「人生の真実」とでもいったような事を大まじめで語り合った経験をさえ持っている。無学な老職人に意見せられて涙・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・たったいま教ったばかりのフランスの叙情詩とは打って変ったかかる無学な文句に、勝手なふしをつけて繰りかえし繰りかえし口ずさみながら、れいの甘酒屋を訪れたのである。そのときすでに、ひとりの先客があった。私は、おどろいた。先客の恰好が、どうもなん・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ そもそも民主主義とは、――いや、これはどうも、あまりに唐突で、自分で言い出して自分でおどろいている有様で苦笑の他はございませんが、実は私は、まったく無学の者で、何も知らんのです。しかし、民主とは、民の主と書き、そのつまり主義、思想・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・同時に科学者は時に無学文盲の人間に立返って考えなければならない。われわれが物理学のかなり深いところを探究しているつもりでも、時々子供や素人から受ける質問が往々にして意外に根本的な物理学の弱点にふれる事を見るのである。 エネルギー保存説の・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・いったい無学と云ってよい男であるからこれはきっと僕等がいろんな入智恵をするのだと思う人があるようだが中々そんな事ではない。僕等が夢にも知らぬような事が沢山あって一々説明を聞いてようやく合点が行くくらいである。どうも奇態な男だ。先達て『日本』・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
出典:青空文庫