・・・文明の結果で飾られていても、積み上げた石瓦の間にところどころ枯れた木の枝があるばかりで、冷淡に無慈悲に見える町の狭い往来を逃れ出て、沈黙していながら、絶えず動いている、永遠なる自然に向って来るのである。河は数千年来層一層の波を、絶えず牧場と・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・けれども、おやじは無慈悲である。しわがれたる声をして、「豚の煮込みもあるよ。」「なに、豚の煮込み?」老紳士は莞爾と笑って、「待っていました。」と言う。けれども内心は閉口している。老紳士は歯をわるくしているので、豚の肉はてんで噛めない・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・しかし、それにしても、女の人のあの無慈悲は、いったいどこから出て来るのでございましょう。私のそれからの境涯に於いても、いつでもこの女の不意に発揮する強力なる残忍性のために私は、ずたずたに切られどおしでございました。 父が死んでから、私の・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・そうしてその年以来他の草花は作るが虞美人草はそれきり作らないので、この無慈悲な花いじめを繰り返す機会に再会することができない。 四 カラジウムを一鉢買って来て露台のながめにしている。芋の葉と形はよく似ているが葉脈・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・見たまえとはすでに知己の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝て猛然とハ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・親は小児に対して無慈悲ではない、冷刻でもない。無論同情がある。同情はあるけれども駄菓子を落した小供と共に大声を揚げて泣くような同情は持たぬのである。写生文家の人間に対する同情は叙述されたる人間と共に頑是なく煩悶し、無体に号泣し、直角に跳躍し・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・その後鶸の雌は余り大食するというので憎まれて無慈悲なる妹のためにその籠の中の共同国から追放せられた。またその後ジャガタラ雀が死んだので、亭主になりすまして居った前のキンパラは遂にキンカ鳥の雌に款を通じようとするので、後のキンパラと絶えず争い・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ けれども、にわかに荒くれた、彼等の仲間ではこんなに無慈悲で、不作法なものはなかった人間どもが、昔ながらの「仕合わせの領内」へ闖入して来た。 そして大きな斧が容赦なく片端しから振われ始めたのである。 まだ生れて間もない、細くしな・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・―― 私は無慈悲な、冷酷な女ではない筈だ。私は彼をしんから愛した。同時にいやなところをしんから嫌った。彼は不運なことにこの私の嫌がり丈を強く感じた。そしてああいうことになったのだが――気の毒だ。実に気の毒だ。而も、こうやって、制し難くこ・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
・・・資本が、その天性にしたがって強力無慈悲な計算をする、その計画に、どの程度のプロメシウス的な反抗をしたでしょうか。 例えば、ひところの住宅建築に、空間のぬけ目ない利用或は立体化ということが流行ったことがあります。昔シカゴ市で見学した一つの・・・ 宮本百合子 「よろこびの挨拶」
出典:青空文庫