・・・冷やかな眼ですべてを描いたいわゆる公平無私にいくばくの価値があるかは私の久しい前からの疑問である。単に著者の個人性が明らかに印象せられたというに止まりはしないだろうか。 私は年長の人と語るごとにその人のなつかしい世なれた風に少からず酔わ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・それで科学者は眼前に現われる現象に対して言わば赤子のごとき無私無我の心をもっていなければならない。止水明鏡のごとくにあらゆるものの姿をその有りのままに写すことができなければならない。武芸の達人が夜半の途上で後ろから突然切りかけられてもひらり・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・観察の公平無私ならんことを希うのあまり、強いて冷静の態度を把持することは、却て臆断の過に陥りやすい。僕等は宗教家でもなければ道徳家でもない。人物を看るに当って必しも善悪邪正の判決を求めるものではない。唯人物を能く看ることが出来れば、それでよ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・「余は人間に能う限りの公平と無私とを念じて、栄誉ある君の国の歴史を今になお述作しつつある。従って余の著書は一部人士の不満を招くかも知れない。けれどもそれはやむを得ない。ジョン・モーレーのいった通り何人にもあれ誠実を妨ぐるものは、人類進歩・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 科学教育のことが云われるからには、有益な科学の原理的な知識とともに、無私なよい観察者としての能力と、独創性を発揮するに足りるだけの周密、動的な推理の力とを二本の脚とする科学の精神が、あらゆる男女の心に培かわれてゆくことを願っていいので・・・ 宮本百合子 「科学の精神を」
・・・キュリー夫人が科学の客観的な真理との関係で、自分の箇人的な勉強などを伝説化すまいとした潔癖は気品ある態度であり、科学に献身した者らしい無私を語っている。けれども、人間の歴史の嶮しい波の中での女の生きる姿という広さにおいてみれば、彼女が少女時・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・大なる直覚、赤児のような透視無二無私に 瞳を放つ処に真の根源があると思う。我等は、教育の概念にあやまたれ社会人の 才に煩わされホメロスの如き 太古の本心を失った。何処までも 繊細に 何処までも 鋭く而・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・そういう時の、父の老いたが若々しい光のある顔は、美術品に対する無私な情愛というようなものに溢れており、娘の私の心をうごかしたものでした。 没する数年前、久しぶりでロンドンへ再遊しましたが、そのときの旅行の目的は父自身の愉しみが主眼ではな・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・千鶴子と何か意見を交わすと、それ故無私な意見さえ時に何かで受けられるのを感じる。――この感じが、尠からずはる子の自由を妨げるのであった。 会えば屡々そうなのに、これはまた奇妙なことに、暫く彼女が顔を見せないと、はる子は気になった。寂しい・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・今日の現実の内包している諸事情を、真に人民としての洞察と無私にたって観察すれば、こういう幾本かの筋が、くっきりと混沌の中から浮んで来るのである。 私たちは自分たち自身を過りにおとしいれ思わぬワナにはめないために、食糧管理委員会の運営の方・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
出典:青空文庫