・・・ 彼の無言でいるのを見た伝右衛門は、大方それを彼らしい謙譲な心もちの結果とでも、推測したのであろう。愈彼の人柄に敬服した。その敬服さ加減を披瀝するために、この朴直な肥後侍は、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・あるいはまた西洋間の電燈の下に無言の微笑ばかり交わすこともある。女主人公はこの西洋間を「わたしたちの巣」と名づけている。壁にはルノアルやセザンヌの複製などもかかっている。ピアノも黒い胴を光らせている。鉢植えの椰子も葉を垂らしている。――と云・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・わかい武士は一目見るとおどろいてそれを受け取ってしばらくは無言で見つめていましたが、「これだ、これだ、この玉だ。ああ私はもう結婚ができる。結婚をして人一倍の忠義ができる。神様のおめぐみ、ありがたいかたじけない。この玉をみつけた上は明日に・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・……どれ、(樹の蔭に一むら生茂りたる薄の中より、組立てに交叉したる三脚の竹を取出して据え、次に、その上の円き板を置き、卓子後の烏、この時、三羽とも無言にて近づき、手伝う状にて、二脚のズック製、おなじ組立ての床几を卓子の差向いに置く。・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ やや無言にて歩を運びぬ。酔える足は捗取らで、靴音は早や近づきつ。老人は声高に、「お香、今夜の婚礼はどうだった」と少しく笑みを含みて問いぬ。 女は軽くうけて、「たいそうおみごとでございました」「いや、おみごとばかりじゃあ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・ 老爺はこの湖水についての案内がおおかたつきたので、しばらく無言にキィーキィーをやっとる。予もただ舟足の尾をかえりみ、水の色を注意して、頭を空に感興にふけっている。老爺は突然先生とよんだ。かれはいかに予を観察して先生というのか、予は思わ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・姉夫婦も無言である、予も無言である。「お父さんわたいお祖父さん知ってるよ、腰のまがった人ねい」「一昨年お祖父さんが家へきたときに、大きい銀貨一つずつもらったのをおぼえてるわ」「お父さん、お祖父さんどうして死んだの」「年をとっ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・――それからと云うものずうッと腹が立っとったんやろ、無言で鳳凰山まで行進した。もう、何でも早う戦場にのぞみとうてのぞみとうて堪えられなんだやろ。心では、おうかた、大砲の音を聴いとったんやろ。僕は、あの時成る程離縁問題が出た筈やと思た。」・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・僕は敷居をまたいでから、無言で立っていると、「まア、おあがんなさいな」と言う。 見れば、もとは店さきでもあったらしい薄ぐらい八畳の間の右の片隅に僕の革鞄が置いてある。これに反対した方の壁ぎわは、少し低い板の間になっておやじの仕事場ら・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この意味に於て、動物文学は、美と平和を愛する詩人によって、また真理に謙遜なる科学者によって、永遠無言の謎を解き、その光輝を発し、人類をして、反省せしむるに足るのであります。 小川未明 「天を怖れよ」
出典:青空文庫