・・・へはいるとすぐに、袴をはいて井伏さんのお宅に伺い、それからさまざま山ほど教えてもらい、生活の事までたくさんの御面倒をおかけして、そうしてただいま、その井伏さんの選集を編むことを筑摩書房から依頼されて、無量の思いも存するのである。 ばかに・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ デウスがハライソを作って無量無数のアンゼルスを置いたことから、アダン、エワの出生と堕落について。ノエの箱船のことや、モイセスの十誡のこと。そうしてエイズス・キリストスの降誕、受難、復活のてんまつ。シロオテの物語は、尽きるところなかった・・・ 太宰治 「地球図」
・・・ 毎夜、毎夜、万朶の花のごとく、ひらひら私の眉間のあたりで舞い狂う、あの無量無数の言葉の洪水が、今宵は、また、なんとしたことか、雪のまったく降りやんでしまった空のように、ただ、からっとしていて、私ひとりのこされ、いっそ石になりたいくらい・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・百川所流無量大水。故大海無有増減。とある。大洋特に赤道下の大洋における蒸発作用の旺盛な有様を「詩」で云い現わしたと思えば、うまい云い方である。 寺田寅彦 「断片(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・空襲の頻々たるころ、この老桜が纔に災を免れて、年々香雲靉靆として戦争中人を慰めていたことを思えば、また無量の感に打れざるを得ない。しかしこの桜もまた隅田堤のそれと同じく、やがては老い朽ちて薪となることを免れまい。戦敗の世は人挙って米の価を議・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・わたくしは無量の感慨に打たれざるを得ない。 顧るにオペラの始て帝国劇場に演奏せられたのは大正八年の秋九月であった。わたくしは其の時までオペラの如き西洋の演芸が極東の都会に於て演奏せられようとは夢にだも思っていなかった。当時我国興行界の事・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・生徒の学芸いまだ上達せしにはあらざれども、その温和柔順の天稟をもって朝夕英国の教師に親炙し、その学芸を伝習し、その言行を聞見し、愚痴固陋の旧習を脱して独立自主の気風に浸潤することあらば、数年の後、全国無量の幸福をいたすこと、今より期して待つ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・けだし潔清無垢の極はかえって無量の寛大となり、浮世の百汚穢を容れて妨げなきものならんのみ。これを、かの世間の醜行男子が、社会の陰処に独り醜を恣にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎冒色勝手次第に飛揚して得々たる・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・総ての生物はみな無量の劫の昔から流転に流転を重ねて来た。流転の階段は大きく分けて九つある。われらはまのあたりその二つを見る。一つのたましいはある時は人を感ずる。ある時は畜生、則ち我等が呼ぶ所の動物中に生れる。ある時は天上にも生れる。その間に・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
月そそぐいずの夜揺れ揺れて流れ行く光りの中に音もなく一人もだし立てば萌え出でし思いのかいわれ葉瑞木となりて空に冲る。乾坤を照し尽す無量光埴の星さえ輝き初め我踏む土は尊や白埴木ぐれに潜む物の・・・ 宮本百合子 「秋の夜」
出典:青空文庫