・・・朦朧とはしながらも、烏帽子の紐を長くむすび下げた物ごしは満更狐狸の変化とも思われない。殊に黄色い紙を張った扇を持っているのが、灯の暗いにも関らず気高くはっきりと眺められた。「翁とは何の翁じゃ。」「おう、翁とばかりでは御合点まいるまい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしな・・・ 芥川竜之介 「羅生門」
・・・勿論この内にも、狐狸とか他の動物の仕業もあろうが、昔から言伝えの、例の逢魔が時の、九時から十一時、それに丑満つというような嫌な時刻がある、この時刻になると、何だか、人間が居る世界へ、例の別世界の連中が、時々顔を出したがる。昔からこの刻限を利・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
火遁巻 千曲川に河童が棲んでいた昔の話である。 この河童の尻が、数え年二百歳か三百歳という未だうら若い青さに痩せていた頃、嘘八百と出鱈目仙人で狐狸かためた新手村では、信州にかくれもなき怪しげな年中行事が行われ、毎年大晦日の夜・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・馬場の蒼黒い顔には弱い西日がぽっと明るくさしていて、夕靄がもやもや烟ってふたりのからだのまわりを包み、なんだかおかしな、狐狸のにおいのする風景であった。私が近づいていって、やあ、と馬場に声をかけたら、菊ちゃんが、あ、と小さく叫んで飛びあがり・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・それは、殆んど狐狸性を所有しているものたちである。潔癖などということは、ただ我儘で、頑固で、おまけに、抜け目無くて、まことにいい気なものである。卑怯でも何でもいいから勝ちたいのである。人間を家来にしたいという、ファッショ的精神とでもいうべき・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・材料 蕪村は狐狸怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたるもの少からず。公達に狐ばけたり宵の春飯盗む狐追ふ声・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫