・・・ 亜米利加人は煙草を啣えたなり、狡猾そうな微笑を浮べました。「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽ちの内に、大金儲けが出来るからね」「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 牧野の眼にはちょいとの間、狡猾そうな表情が浮んだ。「おれの国の人間は、みんな焼くよ。就中おれなんぞは、――」 そこへ婆さんが勝手から、あつらえ物の蒲焼を運んで来た。 その晩牧野は久しぶりに、妾宅へ泊って行く事になった。・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・趙生は詩稿を王生に返すと、狡猾そうにちらりと相手を見ながら、「君の鶯鶯はどこにいるのだ。」と云った。「僕の鶯鶯? そんなものがあるものか。」「嘘をつき給え。論より証拠はその指環じゃないか。」 なるほど趙生が指さした几の上には・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・ 堀尾一等卒は狡猾そうに、将軍の跡を見送りながら、田口一等卒へ目交せをした。「え、おい。あんな爺さんに手を握られたのじゃ。」 田口一等卒は苦笑した。それを見るとどう云う訣か、堀尾一等卒の心の中には、何かに済まない気が起った。と同・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願います・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・けれど、どこにもすばしこい猟犬の鳴き声をきくし、狡猾な人間の銃をかついだ姿を見受けるし、安心して、みんなの休むところがなかったのです。そして、ようやく、この禁猟区の中のこの池を見いだしたというようなわけです。」と、老いたるがんに向かって、い・・・ 小川未明 「がん」
・・・する信念の何れ程迄に真実であるかを疑わなければならないが、そして、このたびの軍備縮小などというが如き、其の実、戦争を予期しての企てに対して、却って、其の正義人道を看板に掲げた底に潜む、資本主義的精神の狡猾を憎まざるを得ないが、ヒューズの言っ・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・ 狡猾なる徒は、巧に良心をも詐わるであろう。そして、第一義の献身的、教化的精神に立つことを回避する。それには、困苦と闘争が予想されるからだ。芸術の権威は、彼等によって、すでに軟化される。そして、表現されたものは芸術本来の姿ではなくして、・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・何と言ったらいいか、この手の婦特有な狡猾い顔付で、眼をきょろきょろさせている。眼顔で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂の中で出し悩みながら、彼はその無躾に腹が立った。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・慾のかたまりのような人間や、狡猾さが鼻頭にまでたゞよっているような人間や、尊大な威ばった人間がたくさんいるのである。 約十年間郷里を離れていて、一昨年帰省してからも、やはり私の心を奪うものは、人間と人間との関係である。郷里以外の地で見聞・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
出典:青空文庫