・・・ 信じていい、生真面目な口調であった。 パチャとオールの音がして、舟は小島の陰からあらわれた。舟には父がひとり、するする水面を滑って、コトンと岸に突き当った。「兄さんは?」「橋のところで上陸しちゃった。ひどく酔っているらしい・・・ 太宰治 「花火」
・・・それは、いつわりの無い、白々しく興覚めするほどの、生真面目なお約束なのであるが、私が、いま、このような乱暴な告白を致したのは、私は、こんな借銭未済の罪こそ犯しているが、いまだかつて、どろぼうは、致したことが無いと言うことを確言したかったから・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 女房は生真面目過ぎる程の性格の所有者で、冗談など言える女ではないのである。本気に私の姿を浮浪者のそれと見誤ったらしい。 太宰治 「美男子と煙草」
・・・ それだからヨーヨーは生真面目で、人を緊張させる傾向があり、コリントはどこかとぼけていて人を笑わせる。そうして前者は個人的であり、後者は衆団的である。 夏の頃、神田の夜店の中に交じってコリント台を並べて客を待っているおばさんやおじさ・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・気象輪講会は何となく上品にのんびりしていたし、地球物理輪講会は生真面目でしかも家族的な気分であったが、地理の輪講会には何となく物々しい人間臭い気分があった。学者で同時に政治家らしいペンク教授の人柄がやはり反映しているような気もした。いつか、・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・彼は中学校を出るとすぐに生真面目な紙屋の旦那になっている主人と、自分のような人間との境遇の著しい違いを思い較べていた。そこへ外から此処の娘が珍しく髪を島田に上げて薄化粧をして車で帰って来た。見かえるように美しい。いつになく少しはにかんだよう・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫を申し上げますが、また私の述べ来ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にも御同情になって悪いとこ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・諸問題は、生のまま、いくらか火照った素肌の顔をそこに生真面目に並べている。 それが、却って、云うに云えない今日の新鮮さ、頼りふかい印象を与えているのは、どういうわけなのだろうか。 日本の民主化ということは、大したことであるという現実・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・等とハアハア笑いながら、やっぱりじき笑うのをやめ、生真面目な顔になってそれぞれドアの中に姿をかくすのであった。 二 原稿紙 このごろ油絵具が大層高価になった。もと、ルフランのを買っていたひとが、買えなくなる有様・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・彼が一応のスタイルをこわして、ヴァレリーの言葉から、日本庶民の理性の暗い、理性によって処理されない事象と会話の中に突入している生真面目さを、ただ日本語の不馴れな作家の時代錯誤とだけ云いすてる人はないだろう。 民主革命の長い広い過程を思え・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫