八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。当時まだ牛乳は少なくとも大衆一般の嗜好品でもなく、常用栄養品でもなく、主として病弱な人間の薬用品であったように見える。そうして、牛乳やいわゆるソップがどうにも臭くっ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・しかし、考えてみると、団扇や扇のようなものは元来どこまでが実用品で、どこまでが玩弄品であるか、それはわからない。玩弄品としては、年々目先が変わって、それで早くこわれてしまうほうがいいに違いない。 ただ困るのは、資本家でもなく、民衆でもな・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品について平生から不満に思っていた事を一度に思い出させられるような心持ちになって来た。 第一に思い出したのが呼び鈴の事であった。今の住居に移った際に近所の・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・『註文帳』は廓外の寮に住んでいる娼家の娘が剃刀の祟でその恋人を刺す話を述べたもので、お歯黒溝に沿うた陰欝な路地裏の光景と、ここに棲息して娼妓の日用品を作ったり取扱ったりして暮しを立てている人たちの生活が描かれている。研屋の店先とその親爺・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要に逼られて机上若くはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支あるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、兎に角高価の割には大変需要の・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・引越しの手伝いをしてくれた女のひとが、さし当りの入用品として、それらの品物を近所でそろえてくれた。かえって来て、釜、庖丁の類を私の前に並べ「マア、おっかないみたいなもんですよ。このお釜は、きのうの相場なんですって」といった。鉄類は一日一日、・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・お金が小やかましいので、日用品以外の物と云ったら、自分の銭で買う身のまわりの物まで遠慮しなければならない中を、恭二がお君のために買って来てくれたたった一冊の雑誌である。 幾度も幾度も繰り返して、まるで、饑えた犬が、牛の骨をもらいでもした・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 軍事経済政策で日用品の物価はこの五ヵ月間に三割近くあがったが、損をしないためには、「干饂飩なんかは一年分位買いため」「米の如きも少しは買いためておけば」いい。そういうことが書いてある。 これを読んで「ふん」と思わないものがあるだろ・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・ 生活の中にあるものの美しさは、それが巨大な機械類であると、小さい日用品の類であるとにかかわらず、そのものが生きて働く目的を十分示していて、その充実感が美に通じているべき筈のものだろうと思う。 一つの御飯茶碗がここにあるならば、それ・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ それは社会が若い女に与えている自由が代用品であることから生じている悲劇であるが、私たちの女学校時代を考えると、大人と少女とはその生活感情を露骨に対立させられていたものだと思う。学校においても、家庭においても。 十五六のころ、こんな・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫