・・・ 彼のいわゆる愛人たちの中のひとりに、水原ケイ子という、まだ三十前の、あまり上手でない洋画家がいた。田園調布のアパートの二部屋を借りて、一つは居間、一つはアトリエに使っていて、田島は、その水原さんが或る画家の紹介状を持って、「オベリスク・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ ○ 東京の郊外が田園の風趣を失い、市中に劣らぬ繁華熱閙の巷となったのは重に大正十二年震災あってより後である。 田園調布の町も尾久三河島あたりの町々も震災のころにはまだ薄の穂に西風のそよいでいた野原であった。・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・新宿の病院にいらっしゃる頃は、思いながらつい折を得なくて、お会いしたのは、田園調布へ移られてからであった。 永年糖尿病をもって居られ、そこから生じた複雑な病症で、経過は困難であった。おうちの方々は実に母さん孝行で、峰子さんなどは、自分の・・・ 宮本百合子 「白藤」
出典:青空文庫