・・・東京の医者の子であったが、若い頃フランスに渡り、ルノアルという巨匠に師事して洋画を学び、帰朝して日本の画壇に於いて、かなりの地位を得る事が出来た。夫人は陸奥の産である。教育者の家に生れて、父が転任を命じられる度毎に、一家も共に移転して諸方を・・・ 太宰治 「花火」
・・・それだのに婦人画家だけ集まった展覧会が婦人画家たちからもたれているということは、日本の画壇のどういう実際を語っているのだろうか。それは日本ではすべての組合や政党に婦人部というものがあって、それがまだ社会の事情から独特の必要をもっているのと似・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・女の画家は、画壇で統領となれないから売れないと云われるが、画壇で統領になれないのは、現在の社会へ女が入ってゆくためには、門が限られているということの一つの反映でもある。画壇政治をぬいて考えて、或る婦人画家の芸術的な発展のあとに感興を覚えて、・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・そして、日本画壇の、所謂大家というものに対して、率直な不満を洩した。平福氏の画が好きなのは、その人格がすきだという話も聞いた。画壇に於てばかりでなく、各方面に、そういう、或る見識に立脚した批判と選択を持った人であった。 考えて見るのに、・・・ 宮本百合子 「狭い一側面」
・・・の方々の組織される現実会の会員の作品や、その頃はそういう団体には属していなかったけれども、今日古い画壇の空気にあきたりなくて、民主的な日本の社会の推移とともに自分の芸術を新しく発展させて行こうと計画している方々の作品、そして職場からの作品も・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
出典:青空文庫