・・・のみならず切れの長い目尻のほかはほとんど彼に似ていなかった。「その子供は今年生れたの?」「いいえ、去年。」「結婚したのも去年だろう?」「いいえ、一昨年の三月ですよ。」 彼は何かにぶつかるように一生懸命に話しかけていた。が・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・ 迫った額、長い睫毛、それから左の目尻の黒子。――すべてが金に違いなかった。のみならず彼はお蓮を見ると、やはり煙管を啣えたまま、昔の通り涼しい眼に、ちらりと微笑を浮べたではないか?「御覧。東京はもうあの通り、どこを見ても森ばかりだよ。」・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・始は水の泡のようにふっと出て、それから地の上を少し離れた所へ、漂うごとくぼんやり止りましたが、たちまちそのどろりとした煤色の瞳が、斜に眥の方へ寄ったそうです。その上不思議な事には、この大きな眼が、往来を流れる闇ににじんで、朦朧とあったのに関・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ぶざまらしく、折敷さえ満足に出来ず、分会長には叱られ、面白くなくなって来て、おれはこんな場所ではこのように、へまであるが、出るところへ出れば相当の男なんだ、という事を示そうとして、ぎゅっと口を引締めて眥を決し、分会長殿を睨んでやったが、一向・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・作者が自分ですっかり目尻を下げているようなところがある。 これに反して、近頃の展覧会の多くの絵などは、作者が幕の陰にかくれていて、見物人の眼の色ばかり読んでいそうな気がする。そんな心持が少しでもあって、いい芸術が生れようとは思われない。・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・平田は上を仰き眼を合り、後眥からは涙が頬へ線を画き、下唇は噛まれ、上唇は戦えて、帯を引くだけの勇気もないのである。 二人の定紋を比翼につけた枕は意気地なく倒れている。燈心が焚え込んで、あるかなしかの行燈の火光は、「春如海」と書いた額に映・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・細い目のちょいと下がった目尻に、嘲笑的な微笑を湛えて、幅広く広げた口を囲むように、左右の頬に大きい括弧に似た、深い皺を寄せている。 綾小路はまだ饒舌る。「そんなに僕の顔ばかし見給うな。心中大いに僕を軽侮しているのだろう。好いじゃないか。・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 増田博士は胡坐を掻いて、大きい剛い目の目尻に皺を寄せて、ちびりちびり飲んでいる。抜け上がった額の下に光っている白目勝の目は頗る剛い。それに皺を寄せて笑っている処がひどく優しい。この矛盾が博士の顔に一種の滑稽を生ずる。それで誰でも博士の・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ ロダンの目は注意して物を視るとき、内眥に深く刻んだような皺が出来る。この時その皺が出来た。視線は学生から花子に移って、そこにしばらく留まっている。 学生は挨拶をして、ロダンの出した、腱の一本一本浮いている右の手を握った。La Da・・・ 森鴎外 「花子」
出典:青空文庫