・・・奉天城内の四平街と云えば目抜きの場所だ。君覚えているだろう? 平生は、人間や洋車や馬車が雑沓しているところだ。三階、四階の青や朱で彩色した高楼が並んでいる。それが今はすっかり扉を閉め切って猫の仔一匹いない。一昨日そこへ行ってみた。どの家にも・・・ 黒島伝治 「防備隊」
・・・折からこの地の祇園祭で樽神輿を舁いだ子供や大供の群が目抜きの通りを練っていた。万燈を持った子供の列の次に七夕竹のようなものを押し立てた女児の群がつづいて、その後からまた肩衣を着た大人が続くという行列もあった。東京でワッショイ/\/\というと・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・寺から起こった火事はおりからの南西風に乗じて芝桜田から今の丸の内を焼いて神田下谷浅草と焼けつづけ、とうとう千住までも焼け抜けて、なおその火の支流は本郷から巣鴨にも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区の目抜きの場所を曠野にした。これは焼失区域・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 雪をよごして零下十二度の夜焚火をする樅の木売りも、モスクワの目抜きの広場からは姿を消した。 レーニングラードの『労働婦人と農婦』は十五万部売って、レーニングラード『プラウダ』を経済的にもりたてている。 主筆が三十六七のギメレウ・・・ 宮本百合子 「モスクワの姿」
出典:青空文庫