・・・ その朝から三吉はおげんの側で楽しい暑中休暇を送ろうとして朝飯でも済むと復た直ぐ屋外へ飛び出して行ったが、この小さな甥の子供心に言ったことはおげんの身に徹えた。彼女は家の方に居た時分、妙に家の人達から警戒されて、刃物という刃物は鋏から剃・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その上に、直ぐに頭が付いている。背後にだけ硬い白髪の生えている頭である。破れた靴が大き過ぎるので、足を持ち上げようとするたびに、踵が雪にくっついて残る。やはり外の男等のように両手を隠しに入れて頭を垂れている。しかし何者かがその体のうちに盛ん・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 直ぐ又、彼は魚に気を取られて仕舞いましたが、スバーは、傷つけられた牝鹿が、苦しみの中で、「私が、貴方に何をしたでしょう?」と訊きながら狩人の顔を見るように、プラタプの面を見守りました。 其日、彼女はもういつもの木の下には座・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・は、だいたい、発表の年代順に、その作品の配列を行い、この第二巻は、それ故、第一巻の諸作品に直ぐつづいて発表せられたものの中から、特に十三篇を選んで編纂せられたのである。 ところで、私の最初の考えでは、この選集の巻数がいくら多くなってもか・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ボスニア産のプリュウンであろうが、機関車であろうが、レンブラントの名画であろうが、それを大金で買って、気に入らないから、直ぐに廉価に売るには、何の差支もない。これは立派な売買である。仲買にたっぷり握らせて、自分も現金を融通する。仲買は公民権・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・足痕をつけて行きゃア、篠田の森ア、直ぐと突止めまさあ。去年中から、へーえ、お庭の崖に居たんでげすか。」 清五郎の云う通り、足痕は庭から崖を下り、松の根元で消えて居る事を発見した。父を初め、一同、「しめた」と覚えず勝利の声を上げる。田崎と・・・ 永井荷風 「狐」
・・・恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりで直ぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩するというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処が感激派の小説で、或情緒を誇・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・日本が外国と貿易を始めると直ぐ建てられたらしい、古い煉瓦建の家が並んでいた。ホンコンやカルカッタ辺の支邦人街と同じ空気が此処にも溢れていた。一体に、それは住居だか倉庫だか分らないような建て方であった。二人は幾つかの角を曲った挙句、十字路から・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 途端にもう汽車は出るのでした。直ぐ出ました。看々うちに遠くなって、後は万歳の声ばかり。 私も悲しかったの若子さんに劣らなかったでしょう。二人とも唯だ夢心地に佇んで居ました。『心にもない事を云うわね、彼女は。』 子を抱いた女・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・其処で棺の中で生きかやった時に直ぐに棺から這い出られるという様な仕組みにしたいという考えも起こる。 棺の窮屈なのは仕方が無いとした所で、其棺をどういう工合に葬むられたのが一番自分の意に適っているかと尋ねて見るに、先ず最も普通なのは土葬で・・・ 正岡子規 「死後」
出典:青空文庫