・・・ そこへ真白い犬が一匹、向うからぼんやり尾を垂れて来た。 二 K君の東京へ帰った後、僕は又O君や妻と一しょに引地川の橋を渡って行った。今度は午後の七時頃、――夕飯をすませたばかりだった。 その晩は星も見えなかった・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・ そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏で真中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とに下さいました。真白い手の平に紫色・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・うっすら明るい梅の下に真白い顔の女が二つの白い手を動かしつつ、ぽちゃぽちゃ水の音をさせて洗い物をしているのである。盛りを過ぎた梅の花も、かおりは今が盛りらしい。白い手の動くにつれて梅のかおりも漂いを打つかと思われる、よそ目に見るとも胸おどり・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そして真白い歯を露わして、何か云った。彼は、何ということか意味が汲みとれなかった。しかし女が、自分に好感をよせていることだけは、円みのあるおだやかな調子ですぐ分った。彼は追っかけて来ていいことをしたと思った。 帰りかけて、うしろへ振り向・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・祖母は下顎をはげしくふるわせ、二度も三度も真白い歯を打ち鳴らした。やがてころりと仰向きに寝ころがった。おおぜいのひとたちは祖母のまわりに駈せ集い、一斉に鈴虫みたいな細い声を出して泣きはじめた。私は祖母とならんで寝ころがりながら、死人の顔をだ・・・ 太宰治 「玩具」
・・・顔一めんが暗紫色、口の両すみから真白い泡を吹いている。この顔とそっくりそのままのふくれた河豚づらを、中学時代の柔道の試合で見たことがあるのだ。そんなに泡の出るほどふんばらずとも、と当時たいへん滑稽に感じていた、その柔道の選手を想起したとたん・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・人喰い川を、真白い全裸の少年が泳いでいる。いや、押し流されている。頭を水面に、すっと高く出し、にこにこ笑いながら、わあ寒い、寒いなあ、と言い私のほうを振り向き振り向き、みるみる下流に押し流されて行った。私は、わけもわからず走り出した。大事件・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」 においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。 蜜蜂の羽音かも知れない。 四月十一日の春・・・ 太宰治 「春昼」
・・・ジャピイの真白い毛は光って美しい。カアは、きたない。ジャピイを可愛がっていると、カアは、傍で泣きそうな顔をしているのをちゃんと知っている。カアが片輪だということも知っている。カアは、悲しくて、いやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・風間は真面目な顔をして勝治の家庭にまで乗り込んで来る。頗る礼儀正しい。目当は節子だ。節子は未だ女学生であったが、なりも大きく、顔は兄に似ず端麗であった。節子は兄の部屋へ紅茶を持って行く。風間は真白い歯を出して笑って、コンチワ、と言う。すがす・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫