・・・じいっと向うを見て、真直に立っていろ、と云ったのであった。しかし老人は、恐怖と、それが嘘であることを感じていた。彼は鼻も口も一しょになってしまうような泣き面をした。「俺は殺され度くない。いつ、そんな殺されるような悪いことをしたんだ!」と眼は・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・銃は、真直に、形正しく、鼻のさきへ持ち上げることが出来なかった。 中隊長は、不満げに、彼を睨んだ。「も一度。そんな捧げ銃があるか!」その眼は、そう云っているようだった。 松木は、息切れがして、暫らくものを云うことが出来なかった。鼻孔・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・所が何も障害物のない広い野だのに、道が真直についていないのサ。道が真直についていれば早く到着するのだのにサ。君も知ているだろう、二点の間の最も近きは直線なりという訳サ。所がヒニクに道路が曲りくねッてついているのサ。爰だテ、なぜ道が曲ッてつい・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・ 見ると東坡巾先生は瓢も玉盃も腰にして了って、懐中の紙入から弾機の無い西洋ナイフのような総真鍮製の物を取出して、刃を引出して真直にして少し戻すと手丈夫な真鍮の刀子になった。それを手にして堤下を少しうろついていたが、何か掘っていると思うと・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 龍介はとにかく今日は真直に帰ろうと思った。 宿直の人に挨拶をして、外へ出た。北海道にめずらしいベタベタした「暖気雪」が降っていた。出口にちょっと立ち止まって、手袋をはきながら、龍介は自分が火の気のない二階で「つくねん」と本を読むこ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・丈が低く、がっしりしていて、背を真直にして歩いている。項は広い。その上に、直ぐに頭が付いている。背後にだけ硬い白髪の生えている頭である。破れた靴が大き過ぎるので、足を持ち上げようとするたびに、踵が雪にくっついて残る。やはり外の男等のように両・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ とおっしゃっただけで、またも釣竿をかつぎ、そのまま真直に東京の荻窪のお宅に帰られたことがある。 なかなか出来ないことである。いや、私などには、一生、どんなに所謂「修行」をしても出来っこない。 不敗。井伏さんのそのような態度にこ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・夕方あいつは家を出て、何時何処で、誰から聞いて知っていたのか、お前のこの下宿へ真直にやって来て、おかみと何やら話していたが、やがて出て来て、こんどは下町へ出かけ、ある店の飾り窓の前に、ひたと吸いついて動かなんだ。その飾り窓には、野鴨の剥製や・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 三 高架鉄道から下りてトレプトウの天文台へ行く真直な道路の傍に自分が立っている。道の両側には美しい芝生と森がある。 銅色をした太陽が今ちょうど子午線を横切っているのだが、地平線からの高度が心細いように低・・・ 寺田寅彦 「夢」
・・・としてあった。真直に中山の町の方から来る道路があって、轍の跡が深く掘り込まれている。子供の手を引いて歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯した荒凉たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび法華・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫