・・・ 四方の山々いよいよ近づくを見るのみ、取り出でていうべき眺望あるところにも出会わねば、いささか心も倦みて脚歩もたゆみ勝ちに辿り行くに、路の右手に大なる鳥居立ちて一条の路ほがらかに開けたるあり。里の嫗に如何なる神ぞと問えば、宝登神社という・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・此地の温泉は今春以来かく大きなる旅館なども設けらるるようなりしにて、箱館と相関聯して今後とも盛衰すべき好位置に在り。眺望のこれと指して云うべきも無けれど、かの市より此地まであるいは海浜に沿いあるいは田圃を過ぐる路の興も無きにはあらず、空気殊・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 人を避けて、私は眺望のいい二階へ上がって見た。石を載せた板屋根、ところどころに咲きみだれた花の梢、その向こうには春深く霞んだ美濃の平野が遠く見渡される。天気のいい日には近江の伊吹山までかすかに見えるということを私は幼年のころに自分の父・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 対岸に見える村落、野趣のある釣橋、河原つづきの一帯の平地、遠い近い山々――それらの眺望は先生方を悦ばせた。日あたりの好いことも先生方を悦ばせた。この谷間は割合に豊饒で、傾斜の上の方まで耕されている。眼前に連なる青田は一面緑の波のように・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
君にこの生活を教えよう。知りたいとならば、僕の家のものほし場まで来るとよい。其処でこっそり教えてあげよう。 僕の家のものほし場は、よく眺望がきくと思わないか。郊外の空気は、深くて、しかも軽いだろう? 人家もまばらである・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・二階と言って別に眺望が佳いのでもなければ、座敷が綺麗だという訳でもない。前にはコケラ葺や、古い瓦屋根に草の茂った貸長屋が不規則に並んで、その向うには洗濯屋の物干が美しい日の眼界を遮ぎる。右の方に少しばかり空地があって、その真上に向ヶ岡の寄宿・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・ グリーンホテルからの眺望には独特なものがある。常緑樹林におおわれた、なだらかなすそ野の果ての遠いかなたの田野の向こうには、さし身を並べたような山列が斜め向きに並び、その左手の山の背には、のこぎり歯というよりは乱杭歯のような凹凸が見える・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・そうしてかくしのキャラメルを取り出して三つ四つ一度に頬張りながら南方のすそ野から遠い前面の山々へかけての眺望をむさぼることにした。自分の郷里の土佐なども山国であるからこうしたながめも珍しくないようではあるが、しかし自分の知る郷里の山々は山の・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・停車場前の百貨店の食堂の窓から駿河湾の眺望と涼風を享楽しながら食事をしている市民達の顔にも非常時らしい緊張は見られなかった。屋上から見渡すと、なるほど所々に棟瓦の揺り落されたのが指摘された。 停車場近くの神社で花崗石の石の鳥居が両方の柱・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・まず山王台東側の崖に繁っていた樹木の悉く焼き払われた後、崖も亦その麓をめぐる道路の取ひろげに削り去られ、セメントを以て固められたので、広小路のこなたから眺望する時、公園入口の趣は今までとは全く異るようになった。池の端仲町の池に臨んだ裏通も亦・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫