・・・かれの胸にはこれまで幾度も祖国を思うの念が燃えた。海上の甲板で、軍歌を歌った時には悲壮の念が全身に充ち渡った。敵の軍艦が突然出てきて、一砲弾のために沈められて、海底の藻屑となっても遺憾がないと思った。金州の戦場では、機関銃の死の叫びのただ中・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 三 別れの曲 ショパンがパリのサロンに集まった名流の前で初演奏をしようとする直前に、祖国革命戦突発の飛報を受取る。そうして激昂する心を抑えてピアノの前に坐り所定曲目モザルトの一曲を弾いているうちにいつか頭が変にな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ しかし、また一方、この同じ心理がたとえば戦時における祖国愛と敵愾心とによって善導されればそれによって国難を救い戦勝の栄冠を獲得せしめることにもなるであろう。 しかしまた、同じような考え方からすれば、結局ナポレオンも、レーニンも、ム・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・外国へ出てみなければ祖国の事がわからないように、あらゆる非科学ことに形而上学のようなものと対照し、また認識論というような鏡に照らして批評的に見た上でなければ科学はほんとうには「理解」されるはずがない。しかしそういう一般的な問題は別として、こ・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・滅びた祖国、流浪の生活、熱帯の夏の夜の恋、そんなものを思わせるような、うら悲しくなまめかしい音楽が黄色く濁った波の上を流れて行った。波の上にはみかんの皮やビールのあきびんなどが浮いたり沈んだりして音楽に調子を合わせていた。……淡い郷愁とでも・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・現代の日本人は祖国に生ずる草木の凡てに対して、過去の日本人の持っていたほどの興味を持たないようになった。わたくしは政治もしくは商工業に従事する人の趣味については暫く擱いて言わぬであろう。画家文士の如き芸術に従事する人たちが明治の末頃から、祖・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・そして一刻一刻、時間の進むごとに、われらの祖国をしてアングロサキソン人種の殖民地であるような外観を呈せしめる。古くして美しきものは見る見る滅びて行き新しくして好きものはいまだその芽を吹くに至らない。丁度焼跡の荒地に建つ仮小屋の間を彷徨うよう・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ドイツの知識人たちは、ナチスの運動がその背後にどんな大きいドイツの軍国主義者と資本家の大群をひかえているかということを洞察せず、馬鹿にしていたために、祖国とその文化とをナチスに蹂躙されつくした。 一九二〇年代のドイツは、左翼が活躍し、ド・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・その東に、太平洋に弓なりにかかって、わたしたちの祖国日本があります。 けれども、今日アジアの地図の中に見る日本は、わたしたちの心を苦痛でみたします。ソヴェト同盟の国境、朝鮮、満州をふくむ中華人民共和国、ビルマ、シャム、マライ、印度支那、・・・ 宮本百合子 「新しいアジアのために」
・・・だが、民衆は、祖国の防衛として肉体をもってそれを感じ、そこに身を挺している。彼等灰色の人々に光栄あれ。 フランスの知識人は「政治」と「政変」とに飽きて、「政治」について妙に観念化された。 それがそこから離別することが人間的誠実とは思・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
出典:青空文庫