・・・――末娘で可愛いお桂ちゃんに、小遣の出振りが面白い……小買ものや、芝居へ出かけに、お母さんが店頭に、多人数立働く小僧中僧若衆たちに、気は配っても見ないふりで、くくり頤の福々しいのに、円々とした両肱の頬杖で、薄眠りをしている、一段高い帳場の前・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・いそいそと立ち働くお新が居る。下女が居る。養子も改まった顔付で奥座敷と台所の間を往ったり来たりしている。時々覗きに来る三吉も居る。そこへおげんの三番目の弟に連れられて、しょんぼりと表口から入って来た人がある。この人が十年も他郷で流浪した揚句・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ とおげんはそこに立働く弟の連合に言った。秋の野菜の中でも新物の里芋なぞが出る頃で、おげんはあの里芋をうまく煮て、小山の家の人達を悦ばしたことを思出した。その日のおげんは台所のしちりんの前に立ちながら、自分の料理の経験などをおさだに語り・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・どうして黒柿の長手の火鉢や、古い馴染の箪笥はおろか、池の茶屋の料理場の片隅に皆の立ち働くところを眺めることさえ邪魔になるように思われて、ゆっくり腰の掛けられそうな椅子一つ彼女を待っていなかった。 休茶屋の近くに古い格子戸のはまった御堂も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・会社から帰ると、女中がわりに立ち働く。 鶴の姉は、三鷹の小さい肉屋に嫁いでいる。あそこの家の二階が二間。 鶴はその日、森ちゃんを吉祥寺駅まで送って、森ちゃんには高円寺行きの切符を、自分は三鷹行きの切符を買い、プラットフオムの混雑にま・・・ 太宰治 「犯人」
・・・田舎から出た娘のようではなく、何事にも好く気が附いて、好く立ち働くので、お蝶はお客の褒めものになっている。国から来た親類には、随分やかましい事を言われる様子で、お蝶はいつも神妙に俯向いて話を聞いていても、その人を帰した跡では、直ぐ何事もなか・・・ 森鴎外 「心中」
出典:青空文庫