・・・ ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂めだらけに閉してある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙で、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈を分けた・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・――場所に間違いはなかろう――大温習会、日本橋連中、と門柱に立掛けた、字のほかは真白な立看板を、白い電燈で照らしたのが、清く涼しいけれども、もの寂しい。四月の末だというのに、湿気を含んだ夜風が、さらさらと辻惑いに吹迷って、卯の花を乱すばかり・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 不意に立掛けた。が、見掛けた目にも、若い綺麗な人の持ものらしい提紙入に心を曳かれた。またそれだけ、露骨に聞くのが擽ったかったのを、ここで銑吉が棄鞭を打った。「お爺さん、お寺には、おかみさん、いや、奥さんか。」 小さな声で、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・蒟蒻の桶に、鮒のバケツが並び、鰌の笊に、天秤を立掛けたままの魚屋の裏羽目からは、あなめあなめ空地の尾花が覗いている……といった形。 ――あとで地の理をよく思うと、ここが昔の蓮池の口もとだったのだそうである。――「皆その御眷属が売って・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ ところで座敷だが――その二度めだったか、厠のかえりに、わが座敷へ入ろうとして、三階の欄干から、ふと二階を覗くと、階子段の下に、開けた障子に、箒とはたきを立て掛けた、中の小座敷に炬燵があって、床の間が見通される。……床に行李と二つばかり・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・――衝と避けて、立離るる時、その石垣に立掛けたる人形つかいの傀儡目に留る。あやつりの竹の先に、白拍子の舞の姿、美しくたけたり。夫人熟と視て立停る。無言。雨の音。ああ、降って来た。まあ、人形が泣くように、目にも睫毛にも雫がかかってさ。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・まず、忍び逢いの小座敷には、刎返した重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝した長襦袢の膝の上か、あるいはまた船底枕の横腹に懐中鏡を立掛けて、かかる場合に用意する黄楊の小櫛を取って先ず二、三度、枕のとがなる鬢の後毛を掻き上げた後は、捻るよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・これを初て来た日に、お時婆あさんが床の壁に立て掛けて、叱られたのである。立てた物は倒れることがある。倒れれば刀が傷む。壁にも痍が附くかも知れないというのである。 床の間の前には、子供が手習に使うような机が据えてある。その前に毛布が畳んで・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・さて棺のまわりに糠粃を盛りたる俵六つ或は八つを竪に立掛け、火を焚付く。俵の数は屍の大小により殊なるなり。初薪のみにて焚きしときは、むら焼けになることありて、火箸などにてかきまぜたりしが、糠粃を用いそめてより、屍の燃ゆるにつれて、こぼれこみて・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫