・・・その隣の家で女たちの賑やかな話声や笑声がしきりにしていた。「おつるさん、おつるさん」こわれた器械からでも出るような、不愉快なその声がしきりにやっていた。 道太は初め隣に気狂いでもいるのかと思ったが、九官鳥らしかった。枕もとを見ると、・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・こう云ってしまって、下女は笑声を洩した。 オオビュルナンははっと思って、さっき中庭を通って町へ出た女の事を思い出した。「あれがマドレエヌだったのか。」この独言が自分の耳に這入って、オオビュルナンはようよう我に帰った。そして怒気を帯びて下・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 拍手も笑声も起りました。私たちの方から若い背広の青年が立って行きました。「あの人は私は知ってますよ。ニュウヨウクで二三遍話したんです。大学生です。」 その青年は少し激昂した風で演説し始めました。「ご質問に対してできるだけ簡・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・目ざめるとすぐ枕元の地獄の絵を見て女はねむたげな様子もなくさえた笑声を家中にひびかせた。 日暮方、男は又御龍の玄関の前に立った。せまい一つぼのたたきの上には見なれない男下駄がぬぎっぱなしになって居た。男はフッと自分がこの上なくいやに思っ・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・どっという笑声や喝采。あとから、あとから。ちゃんと門が開き切った時分には、恐らく誰一人往来に立って待ってはいないだろう。 入ってしまえばもう安心し、砂利の上で肱を張り張り歩いて左の方に行く。―― 女の下駄箱は正面の左手にあり、男のは・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・その中にも百姓の強壮な肺の臓から発する哄然たる笑声がおりおり高く起こるかと思うとおりおりまた、とある家の垣根に固く繋いである牝牛の長く呼ばわる声が別段に高く聞こえる。廐の臭いや牛乳の臭いや、枯れ草の臭い、及び汗の臭いが相和して、百姓に特有な・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ しかし奥さんにはその笑声が胸を刺すように感ぜられた。秀麿が心からでなく、人に目潰しに何か投げ附けるように笑声をあびせ掛ける習癖を、自分も意識せずに、いつの間にか養成しているのを、奥さんは本能的に知っているのである。 食事をしまって・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 七つの喉から銀の鈴を振るような笑声が出た。 第八の娘は両臂を自然の重みで垂れて、サントオレアの花のような目は只じいっと空を見ている。 一人の娘が又こう云った。「馬鹿に小さいのね」 今一人が云った。「そうね。こんな物・・・ 森鴎外 「杯」
・・・だが、忽ち彼の笑声が鎮まると、彼の腹は獣を入れた袋のように波打ち出した。彼はがばと跳ね返った。彼の片手は緞帳の襞をひっ攫んだ。紅の襞は鋭い線を一握の拳の中に集めながら、一揺れ毎に鐶を鳴らして辷り出した。彼は枕を攫んで投げつけた。彼はピラミッ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・明るい色の衣裳や、麦藁帽子や、笑声や、噂話はたちまちの間に閃き去って、夢の如くに消え失せる。秋の風が立つと、燕や、蝶や、散った花や、落ちた葉と一しょに、そんな生活は吹きまくられてしまう。そして別荘の窓を、外から冬の夜の闇が覗く。人に見棄てら・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫