・・・椿年歿して後は高久隆古に就き、隆古が死んでからは専ら倭絵の粉本について自得し、旁ら容斎の教を受けた。隆古には殊に傾倒していたと見えて、隆古の筆意は晩年の作にまで現れていた。いわゆる浅草絵の奔放遒勁なる筆力は椿年よりはむしろ隆古から得たのであ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・少なくも画家の頭脳の中にしまってある取って置きの粉本をそのまま紙布の上に投影してその上を機械的に筆で塗って行ったものとしか思われなかった。ペンキ屋が看板の文字を書くようにそれはどこから筆を起してどういう方向に運んで行っても没交渉なもののよう・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・彼は俳句に得たると同じ趣味を絵画に現わしたり、もとより古人の粉本を摸し意匠を剽竊することをなさざりき。あるいは田舎の風光、山村の景色等自己の実見せしものを捉え来たりて、支那的空想に耽りたる絵画界に一生面を開かんと企てたり。あるいは時間を写さ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・たった一人で、前に木版ずりの粉本を置き、余念ない姿だ。亭のまわりの尾花がくれにそれが見える。 写生の日傘と、東屋との間の道を、百花園と染抜いた袢纏の男が通る。続いて子供づれの夫婦が来かかった。「お父さん、あんなトンネル、おうちに・・・ 宮本百合子 「百花園」
出典:青空文庫