・・・見廻りに来た、恩給に精通している看護長が苦々しく笑った。「痛いくらいが何だい! 日本の男子じゃないか! 死んどる者じゃってあるんだぞ。」 右を見ると、よく酒保の酒をおごって呉れた上等兵が毛布の下に脚を立て、歯を喰いしばりじっと天井を見つ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・文楽や歌舞伎に精通した一部の読者の叱責あるいは微笑を買うであろうという、一種のうしろめたさを感じないわけにはゆかない。 自分が文楽を見たころにちょうどチャップリンが東京に来ていた。だれかきっとチャップリンを文楽へ案内するだろうと予期して・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚な考察の中からいくらかでも役に立つような若干の暗示が生まれうるプロバビリティーがあるかもしれないと思われる。また一方で自分は、従来自分の目にふれたわが国での映画芸術論には往々日本人ばな・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・しかし彼は不幸にしてその当代の物理学に精通しなかったために、その偉大なる論文は当時の物理学界からしりぞけられた。しかして当時の学界へのパッスを所有していた他のルクレチウスの子孫ヘルムホルツによって始めて明るみに出るようになった。 現代の・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・後三年を経ずして、わたしが少しく古文書について知らん事を欲した時、古書に精通した島田はそのために身を誤り既にこの世にはいなかったのであった。 話は後へ戻る。その夜唖々子が運出した『通鑑綱目』五十幾巻は、わたしも共に手伝って、富士見町の大・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたいくら勉強してもそればかりじゃどこか不足な訴が内部から萌して来て何となく充分に人間的な心持が味えないのだからやむをえない。したがってこの孤立支離の弊を何とかして矯めなけ・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・ 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人なのである。始めて万年筆を用い出してから僅か三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。尤も十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別として一本・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・の事情に精通しようとする努力を示した。それは、たしかに幕府政治の無力を知り、封建制におしひしがれている社会生活について沈黙しているにたえなくなった「人智の開発」であり、明治に向う知識慾であったにはちがいない。しかし、これらの藩学校は、藩とい・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・モーロアはアメリカの上層の貴族趣味に向って巧に自分のフランス人としての上流的身辺を仄めかしながら、所謂時の人々とその人々との会話の断片を捉えて、何か具体的めいた、重大な国家の事情や裏面に精通した人のように身振りして語っているのだが、よく読ん・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・○彼の情熱的意力におけるわれわれの意志喪失 p.234○ドストイェフスキーよりもシェイクスピアは人間の精通者である。p.226 ツワイクはDとレンブラントとを同類としている。しかしこれは当っているだろうか、明と暗との・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
出典:青空文庫