・・・そして無理算段をしては、細君を遠い郷里の実家へ金策に発たしてやったのであった。……「なんだってあの人はあゝ怒ったの?」「やっぱし僕達に引越せって訳さ。なあにね、明日あたり屹度母さんから金が来るからね、直ぐ引越すよ、あんな奴幾ら怒った・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・夜彼が細君と一緒に温泉へやって来るときの恰好を見るがいい。長い頸を斜に突き出し丸く背を曲げて胸を凹ましている。まるで病人のようである。しかし刳物台に坐っているときの彼のなんとがっしりしていることよ。彼はまるで獲物を捕った虎のように刳物台を抑・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 家族は六十七八になる極く丈夫な老母、二十九になる細君、細君の妹のお清、七歳になる娘の礼ちゃんこれに五六年前から居るお徳という女中、以上五人に主人の真蔵を加えて都合六人であった。 細君は病身であるから余り家事に関係しない。台所元の事・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ この頃好景気のある船会社の船長の細君は、外米は鶏の餌に呉れてやっている、これは最も簡単な方法だが誰れにでも出来る方法ではない。新潟では米を家畜の飼料にしたというが、勿体ない話だが、新潟の農民が自分の田で作った米と、私の地方の農民が、金・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
ガラーリ 格子の開く音がした。茶の間に居た細君は、誰かしらんと思ったらしく、つと立上って物の隙からちょっと窺ったが、それがいつも今頃帰るはずの夫だったと解ると、すぐとそのままに出て、「お帰りなさいまし。」と、ぞ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ その日は十人位の母たちや細君が集まった。ちっとも知らない顔の人もいたが、引張られて行ったときのことや、面会に行ったとき息子たちのことで、すぐ話がはずんで行った。お前の母はそういう話の一つ一つに涙ぐんでいた。誰が話すことも、それは誰にと・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・と言って大切にしてくれる蜂谷ほどには、蜂谷の細君の受けも好くなくて、ややもすると機嫌を損ね易いということも、一層おげんの心を東京へと急がせた。この東京行は、おげんに取って久しく見ない弟達を見る楽しみがあり、その弟達に逢ってこれから将来の方針・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・重ねて四つ、という憤怒こそ、高く素直なものではないか。細君にそむかれて、その打撃のためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。けれども、おれは、なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、責任だの、お世話にな・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・の吹く朝には帽子を阿弥陀にかぶって塵埃を避けるようにして通るし、沿道の家々の人は、遠くからその姿を見知って、もうあの人が通ったから、あなたお役所が遅くなりますなどと春眠いぎたなき主人を揺り起こす軍人の細君もあるくらいだ。 この男の姿のこ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・食堂兼応接間のようなところへ案内された。細君は食卓に大きな笊をのせて青い莢隠元をむしっていた。 お茶を一杯よばれてから一緒に出かけて行った。とある町の小さな薬屋の店へ這入った。店には頭の禿げた肥った主人が居て、B君と二言三言話すと、私の・・・ 寺田寅彦 「異郷」
出典:青空文庫