・・・また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・あなたはカジョーに、ぼくの、経歴人物について、きいて下さったかも知れません。が、カジョーは多分、あいつは宣伝の好きな男だから……けれども、これはカジョーへの悪意ではありません。ぼくの自己弁解です。ぼくは幼年時、身体が弱くてジフテリヤや赤痢で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・山で捕われ、この島につくまでの私のむざんな経歴が思い出され、私は下唇を噛みしめた。「見せ物だよ。おれたちの見せ物だよ。だまって見ていろ。面白いこともあるよ。」 彼はせわしげにそう教えて、片手ではなおも私のからだを抱きかかえ、もう一方・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・嘘か、ほんとか、わかりませんけれど、ずっと以前、東京駅で御災厄にお遭いなされた原敬とは同郷で、しかも祖父のほうが年輩からいっても、また政治の経歴からいっても、はるかに先輩だったので、祖父は何かと原敬に指図をすることができて、原敬のほうでも、・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ それはとにかく、以上のような経歴をもつ一私人が「文学」と「科学」とを対立させてながめる時に浮かんでくるいろいろな感想をここに有りのままに記録して本講座の読者にささげるということは、全く無意味のわざでもあるまいと考えたので、編集者の勧誘・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ その他にもいろいろな種類の噴出物がそれぞれにちがった経歴を秘めかくして静かに横たわっている。一つ一つが貴重なロゼッタストーンである。その表面と内部にはおそらく数百ページにも印刷し切れないだけの「記録」が包蔵されている。悲しいことにはわ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・わたくしはたとえ西洋の都市に青春の幾年かを送った経歴がなかったとしても、わたくしの生涯はやはり今日あるが如きものとなってしまうより外には、道がなかったように思われる。わたくしの健康、性癖、境遇、それらのものを思返して見ると、わたくしの身は世・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・落話家の前座になって見たがやはり見込がないので、遂に按摩になったという経歴から、ちょっと踊もやる落話もする愛嬌者であった。 般若の留さんというのは背中一面に般若の文身をしている若い大工の職人で、大タブサに結った髷の月代をいつでも真青に剃・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・だから、余の希望から云うと、なまじいに普通の小説じみた黒奴という主人公の経歴はやめて、全くの航海描写としたらば好かろうと思うのである。しからざればいらざる風濤の描写を割いて、主人公の身辺に起る波瀾成行をもう少し上手に手際よく叙したらば好かろ・・・ 夏目漱石 「コンラッドの描きたる自然について」
・・・ 話が自分の経歴見たようなものになるが、丁度私が大学を出てから間もなくのこと、或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかということである。私は別にやって見たいともやって見たくないとも思って居なかっ・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
出典:青空文庫