・・・ その沈黙はたちまち絞め木のように、色を失った陳の額へ、冷たい脂汗を絞り出した。彼はわなわな震える手に、戸のノッブを探り当てた。が、戸に錠の下りている事は、すぐにそのノッブが教えてくれた。 すると今度は櫛かピンかが、突然ばたりと落ち・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・「俺は、一日じゅう人の顔さえ見れば、哀れっぽい声を出せるだけ絞り出して、頭を下げられるだけ低く下げて頼んでみたが、これんばかりしかもらわなかった。」と、あばた面の乞食が銭を算えながらいっていました。すると一人の脊の高い、青い顔をした乞食・・・ 小川未明 「石をのせた車」
・・・レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけて・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・一字一句、最大の効果を収めようと、うんうん唸って、絞り出したような名文だ。こんなにお金のかかる文章は、世の中に、少いであろう。なんだか、気味がよい。痛快だ。 ごはんをすまして、戸じまりして、登校。大丈夫、雨が降らないとは思うけれど、それ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・柿の熟したような色をしたその顔が、さもさも喜びに堪えないといったように、心の笑みを絞り出した表情をしている。これが生きている人の本当の顔ならば、おそらく一分間あるいは三十秒間もそのままに持続する事は困難だろうと思われる表情をいつまでも持続し・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・あの写真があなたをせびるようにして、あなたから出来るだけの美しさや、御様子のよさや、才智を絞り出してくれたのでございますね。あの頃わたくし全くあなたに惚れていましたの。ですからあなたの長所が平生の倍以上になったのがどんなにか嬉しゅうございま・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫